2012年2月 3日 (金)

極北の民「エスキモー」

 僕は以前から「エスキモー」の呼称を使っています。世間には「エスキモーは差別語だからよくない。イヌイットに言い換えるべき」という主張があるが、あえてこれには従いません。理由は以下で説明します。

◆先史アラスカの民族移動
 かつてベーリング海峡は陸化して地峡「ベリンジア」となっていました。また北米北部は巨大氷床に占拠されていました。この時期に、まだ温暖であったシベリアから、古モンゴロイドがアラスカ南西部へ渡りました。
 やがてアレレード暖期(1.35万年前~)に入ると、巨大氷床の間に「無氷回廊」が通じたので、ここを通って一部が南下してゆきます。これが【インディアン】の起源という。(古インディアンとナデネ・インディアン)
 ところが1万年前頃に、「ベリンジア」は水没して海峡に変わりました。これから北極海の冷水が北太平洋へ流入して、この方面で気温急落が起こりました。この寒冷期にも何とかアラスカで生き抜いた人々を、【極北人】と呼びましょう。
 やがてBC6000頃から世界的に気温が上がって、BC3500まで続きます(長い夏)。その後は気候振動が激しくなる(ビオラ振動)。極北人はこれらの間に放散しながら、さまざまに発展しました。
 彼らは主に陸獣(ジャコウ牛・カリブー)狩りで暮らしていたようです。犬を飼わなかったことも特徴です。
 BC3000頃には、彼らの一部がアリューシャン列島へ分岐しました。これが同地の先住民【アレウト】になりました。

◆極北人の多様な発展
 五大湖周辺にはBC1600~の採銅遺跡がたくさんあり、おそらく極北人が銅を採って「威信財」にしていたのだと思われます。だがこれらの遺跡はじき突然に断絶している。これはBC1500頃からの気温急落(ビオラ③)で壊滅したものと思われます。
 BC1000頃にまたも気温の急落があり(ビオラ④)、極北人はこれを乗り切るため、氷上スパイク・回転銛・イグルー(氷の家)などを発明しました。これから「ノートン文化」「ドーセット文化」など多様な発展が現れます。土器などはシベリアからの影響があるそうです。彼らはツンドラ地帯を住み占め、森林地帯以南に住んだインディアンとは明瞭に区別されます。
 さらに紀元前後には、アラスカ南西部で、シベリアのつよい影響を受けた「チューレ文化」も発生しました。先行文化と違うのは、船を操って海獣猟をよくしたこと、それから犬を飼ってたことです。これが現【エスキモー】の祖です。

◆チューレ文化人=【エスキモー】の大征服
 くだってAD1000頃には、北欧のノルマン人がニューファンドランド島へ渡って来て入植を図りました(現ランス・オ・メドー)。だがドーセット人はこれと戦い、追い返すのに成功しました。
 ところがその同じ頃から、チューレ人(現エスキモー)の急激な勢力拡大が始まります。彼らはアラスカから東進して、1400年頃までにカナダの古極北人(ドーセット人やノートン人)を絶滅させてしまいました。これは「中世小氷期」とリンクした現象です。よりすぐれた寒冷適応能力をもつ新集団が、古極北人を圧倒したということです。
 さらに彼らはグリーンランドへも侵入して、15Cのうちに古極北人・ノルマン入植者をともに絶滅させました。
 しかし16Cに入ると、西欧人の侵略が始まって、その持ち込んだ伝染病や酒などで、エスキモーは衰退してしまいました…。

◆【エスキモー】の構成
 いま彼らの人口は9万人近くで、その分布は以下のようです。(人口はWikiから拾いました)

【Aユッピック】-アラスカ西部の「本家」集団。「ユイット」などの異称もあります。3万2千人ほど。
[aシベリア・エスキモー]-Aからシベリア沿海へ移住した分派です。今は少数で1200人ほど。
【Bイヌイット】-カナダ北部~グリーンランドへひろく分布した集団です。「イヌック」などの異称もあります。カナダで1万2千人ほど。
[bカラーリット]-Bのうちグリーンランド集団の別名です。4万人ほどで最大集団。

【Aユッピック】も【Bイヌイット】も文化的には同質で、よそから見るとほとんど同じように見えます。しかし両者の言葉は通じず、彼ら自身は互いを「違う」と意識している。
 本人たちが「違う」と意識してるのだから、【ユッピック】もまとめて【イヌイット】と呼ぶのは不適当だし、失礼です。部分集合の名をもって、上位集合の名にすることはできません。
 そこで人類学者は、彼らをまとめて呼ぶときに【ユッピック=イヌイット集団】なんて言ったりします。しかしこれは長すぎるし、一般人には意味が通じない。
 そもそも【エスキモー】は、「生肉喰い」を指す蔑称といわれるが、これもじつは俗説らしい。くわえて彼らが生肉を食べるのは事実なのだし、それは極北でビタミンを摂取するためのすぐれた智恵です。
 彼ら自身のうちにも「我らはエスキモーだ」という自己主張が強いそうで、だったら【エスキモー】でいいじゃないか-と僕は思います。
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[関連→「★インディアンか? ネイティヴ・アメリカンか?」

[参考文献] マックス・デュモン『ツンドラの古代人』
              アーネスト・S.バーチ『エスキモーの民族誌』

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2012年1月30日 (月)

『果てなき路』『アンダーグラウンド』など劇評タメ書き

 久々に映画評のタメ書きです。

◆『果てなき路』&『断絶』byモンテ・ヘルマン
 まずTIFで観てきたモンテ・ヘルマン監督の2作から。
 2011年作品の『果てなき路』-これは「映画を撮る映画」でした。
「映画の映画」というと、フェリーニ監督の『8 2/1』はじめ、ナナ・ジョルジャーゼ監督の『ロビンソナーダ』、マフマルバフ監督の『バンと植木鉢』、ローマン・コッポラ監督の『CQ』など、いくつもの傑作が過去にあった。この『果てなき路』もやはり上質な秀作でした。監督が女優の色香に迷ってしまい、映画虚構と現実が交錯する-という点では、とりわけ『8 2/1』や『CQ』によく似てます。
 かつてノース・カロライナの田舎で起こった、政治家と愛人ヴェルマ、そして警官の死亡事件。その映画化にあたって見出された美貌のローレル。ところが若き監督は彼女の魅力にハマってしまい、撮影の計画が狂ってゆく。しかもローレルには謎があって……というのがざっくりした概要です。
 やはり本作で特筆すべきは、ヒロイン「ヴェルマ=ローレル」を演じたシャニン・ソサモンの魅力でしょう。彼女の「美女オーラ」には完全にやられました。もう本当に美しくてチャーミング! 彼女を観るだけで価値のある一本です。

 そして71年の『断絶』ジェームス・テイラーデニス・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)を主役に据え、自動車狂のヒッピーをドライに描いた作品です。
 いわゆるロード・ムービーなのだが、登場人物たちの会話は噛み合わず、心が触れ合うこともなく、まさしく「断絶=ディスコミュニケーション」が描出されてる。60年代の「祭り」が終わった70年代の空虚さが表現されていて、絶妙でした。
 こちらのヒロイン役ローリー・バードは、撮影当時には17歳で、役柄通りのヒッピー少女であったそう。のちに彼女はアート・ガーファンクルと交際して、彼の家で自殺してしまったとか(!)。『断絶』のエンディングでも「ローリーに捧ぐ」とのキャプションがありました。

◆『アンダーグラウンド』byクストリッツァ
 こちらは巨匠クストリッツァの95年作品です。同監督に2度目のパルム・ドールをもたらした凄い作品
 共産党員で対独パルチザンとなったクロマルコ、そしてその二人が恋い焦がれる女優のナタリア。はじめ対独の抵抗戦から始まった物語は、マルコがクロほかの同志たちを地下に閉じ込めてしまったことから、二極分裂しちゃいます。
 すなわちマルコはナタリアと結婚して、チトー大統領の側近として出世するが、「戦争が終わった」ことを知らされないクロたちは、地下で闘争(武器づくり)を続けてゆく。冷戦下でも平和な生活を営む地上と、暗黒の闘争がつづく地下の対比。地上の映像には、失われた「共産主義帝国」へのノスタルジーも見えるようで、一方それが隠している欺瞞と矛盾が地下にある。
 そのごまかしが破綻して、マルコとナタリアは地下を爆破、クロは地上へと逃れ出ます。ここから一気に場面は「ユーゴ内戦」へと転換して、地獄のような場面に変わる。
 あまりにも悲惨ないったんの結末を、「奇跡」によって美しく昇華したあのラストは、フドイナザーロフの傑作『ルナ・パパ』にも通ずる素晴らしいものでした。

◆『WILD7』by羽住英一郎
 言わずと知れた望月三起也氏の名作漫画の映画化です。これは細かいリクツにこだわって観てはいけない。B級アクションとして楽しめた映画でした。
 僕もバイク乗りなので、バイク・アクションには目を見張った。トレーラーから飛び出すとことか、ハヤブサのジャック・ナイフ、PSUへの突入シーンなど、見どころがいっぱいでした。導入の銀行強盗「退治」の部分も、スピード感がたまらない。セカイ(椎名桔平)と(本仮屋ユイカ)の挿話には泣けました。
 難を言えば、最後が草波さん(中井貴一)の一人舞台で、主役の飛場(瑛太)を喰っちゃってたこと。あとそれ以上にまずかったのが、エンディングの「楽屋裏」映像。あれは見せない方がよかった。
 でもバイク乗りのヒイキで、合格点をつけちゃいます。川井憲司のサントラもラルクの主題歌も良かったです。

◆『アジョン』byイ・ジョンボム
 最後は2011年の末に観た一本。11年は「震災ショック」や何やでほとんど映画を観なかったのだが、しかしこれは傑作でした!
 韓国マフィアと中国マフィアの闇取引。「臓器売買の闇」に呑み込まれて消えた少女ソミ。それを救おうと奔走するテシク(ウォンビン)。彼の前に立ちはだかる殺し屋マンソク(キム・ヒウォン)…。
 凄惨な血みどろシーンがかなりあり、女子向けではないと思うが、ウォンビンの精悍さには僕も惚れた。テシクとマンソクの「決闘」シーンは、静から動への転換がじつにみごと。あれは絶対に『カウボーイ・ビバップ』のスパイクvsヴィシャスの決闘話から影響を受けていると思うなあ。
 今年はまたぼちぼち映画館に足を運ぼうと思います。

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2012年1月28日 (土)

気候歴史学ノート⑩-まとめ &INDEX

[気候歴史学INDEX]
①概論
②生物史の5大絶滅 (24億年前~)
③人類と「氷期」の闘い (18万~2万年前)
④現間氷期の始まり~「長い夏」まで (2万~5500年前)
⑤古代文明とビオラ振動 (8000~2800年前)
⑥「古代温暖期」とその崩壊 (BC8C~AD7C)
⑦「中世温暖期」とその崩壊 (8C~14C)
⑧4度の「太陽極小期」 (14C~19C)
⑨「現暖期」そして… (20C~)

◆ノート後記
 今シリーズでは、田家康氏の素晴らしい著書『気候歴史学』に依拠しながら、12万年の人類史をまとめました。その前史である過去24億年の地球史では、金子隆一氏の『大絶滅』を参考しました。
 ただ僕の判断で補った部分もかなりあります。たとえば約一万年前の「ベーリング変動」がそうであるし、BC885に周を襲った「十月之交」白川静氏の著書から拾いました。まとめや補訂にミスがあれば、それは僕の責任です。
 なお過去の「年代」については、とうぜん誤差含みであることもご承知ください。
  あといくつかの問題に触れておきます。

◆タイム・スケールの問題
 ここまでのシリーズでは、近い時代ほど変動のタイム・スケールが小さく描き出されています。もしかすると読者には、「近い時代ほど気候変動が激化している」という印象を与えているかもしれません。
 しかし、それはそうじゃない。近い時代ほど変動が細かくなっているのは、単に近い時代ほどデータが「よく見える」からです。たとえて言えば、近い距離だと細かい起伏もよく見えるが、遠い距離では大きな山・谷しか見えないってのと同じことです。
 客観的には、この約一万年(完新世)はそれ以前よりはるかに気候は安定しており、またこの約百年(現暖期)はとりわけ高温安定期である-と考えられます。

◆「情報操作」の問題
 さいきん温暖化に関する「データ捏造」が問題になりました。
 温暖化対策には、エネルギーなど多くの利権が絡んでいるので、こういう困ったことも起こるのでしょう。じっさいエネルギー業界(発電・石油・原子力など全て含む)と、それがバックアップする研究機関が提示する情報には、つねに不透明さがつきまといます。
 一例を挙げると、石油はあと何年もつか?って問題です。僕の子どもの頃は「あと30年」と言っていたが、この現在でもやはり「あと30年」と言われている。
 これは公式の説明では、新たな油田が見つかったり、採油技術が向上したり、採算ラインが上昇したため-とされています。
 しかし悪く勘ぐれば、これは業界が石油価格を高値安定させるため、「あと30年」と言い続けているだけではないか?…とも疑われます。

◆「環境操作」の危険性
 宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』って小説があります。来るべき寒冷化=凶作を阻止するため、気象学者グスコーブドリが、自ら犠牲になって火山を噴火させるというお話です。科学精神と自己犠牲を主題にした名作です。
 ただしここでは「火山を爆発させて温暖化を操作」-という筋書きになっているが、実際にはこれはムチャです。火山爆発は、(長期的には温室効果による温暖化を起こすにせよ)、短期的には粉塵による日照悪化→寒冷化となるからです。つまりほんとにグスコーブドリみたいなことをやったら、ただちに寒冷化=凶作を招いちゃいます。
 火山爆発と気象の相関や、プルーム・テクトニクスについては、まだわからないことが多いそうです。すなわち環境システムには人知の及ばないところがある。それをうかつに人間が操作するのは、きわめて危険な行為です。

◆「地球のため」でなく「人間のため」
 いまのエコロジー風潮では、「地球のため」「環境にやさしい」なんて言葉をよく聞きます。しかしこれは偽善的かつ傲慢だと僕は思う。
 人間が地球環境の保全に努めなければならないのは、それが「人間自身のため」だからでしょう。とにかくそれによって我々は生かされているのだから。
 地球はこれまで何度も「天変地異-大絶滅」をやらかしているので、べつに人類が亡んだって、地球にとってはどうってことないでしょう。僕は以前に「自然はやさしくなんてない」と書いたが、今もその考えは変わりません。人間は、地球から見棄てられないように、謙虚さを忘れてはいけないと思います。

 最後に、毛沢東がこんな言葉をいってました。「目前については最悪を予測し備えよ。長途については楽観せよ」
 これは彼を成功させた哲学です。僕はべつに毛沢東を好きってわけじゃないが、これはとてもいい言葉だと思います。

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2012年1月25日 (水)

気候歴史学ノート⑨-「現暖期」そして…

 今回は20C~の現暖期と、「これから」についてざっと触れます。また次回ではまとめます。

▲20Cの始まり~1940頃まで
 20Cに入ると高温安定が顕著になり、「現暖期」が幕を開けます。これが近代産業の発展とも相まって、人口増が加速する。すなわち前世紀から倍増して20億人。そして起こったのが第一次世界大戦(1914~18)です。
 フランスの思想家バタイユは、この世界大戦を、人口と物資の「過剰」ゆえに起こった-と説いています。つまり過剰な人とモノを「蕩尽しなければならない」から、大戦争が要請されたというのです。さらに第二次大戦もその「やり直し」だと彼はいう。

▼1940頃~1970頃まで
 第二次世界大戦(1939~45)の当初頃まで、気温はずっと高めでした。ところが1941から猛烈な寒波が襲来します。ドイツの対ソ戦線は、この寒波により破滅しました。
(なお日本の戦争と気候の関係は、よくわかりません)
 その後もしばらく寒冷傾向が続きました。お年寄りが「昔の冬はもっと寒かった」「夏もこんなに暑くなかった」という通りです。
 僕の子どもの頃でも、「そろそろ氷河期が始まるかも」という科学者の予測をよく見ました。でも温暖化の予測なんて見たことはなかったです。

▲1970頃~現在まで
 70年代を境に再び高温化が始まります。だがこれは、過去の高温化とはやや様子が違ってます。
 というのは現在の高温化は、活溌な太陽活動のみならず、人間の活動により排出された温室ガスの増大「温室効果」の強化によっても支えられている…と見られるからです。人間活動がこれほど環境に影響したことは、過去に例のなかったことです。
20c

◆この先はどうなるのか?-不透明な未来
 ここで未来が問題になるわけだが…なんとも「わからない」というのが正直な結論です。すでに★シリーズ①で述べたよう、地球の気候システムはたいへん複雑で、人知で予測できるものではないからです。

【A-高温化の続く可能性】
 いま多くの気候学者たちは、「温室効果がなお増大→さらに高温化」という予測を立てています。
 そうであれば、熱循環(水循環)は狂暴化し、豪雨や豪雪による被害が多発し、極氷はさらに融けて海面も上昇するでしょう。大陸平野や島国はどんどんと水没してゆき、水蒸気はなお増量して、温室効果もフィードバックにより加速します。
 これがさらに進行すると、最悪の場合、地球の「金星化」も想定されます。金星は、まさしく温室効果の過剰により、あの地獄環境(気温400度、90気圧)になったものです。

 ただ予測Aは、「気候に自然変動がない/人間活動も現状維持」という前提によるものです。ここまでシリーズをお読みになっていただいた方ならわかるように、この前提はかなり怪しい
「古代温暖期→その急落崩壊」や「中世温暖期→その急落崩壊」のサイクルを見ると、「現暖期」の後には「→その急落崩壊」が待ち受けている可能性も高いのです。

【B-反転急冷の可能性】
 すなわち再び太陽極小期が始まったり、かのハインリッヒ・イベントが再発したりすれば、気温は急落し、生産力は低下し、食物とエネルギー資源をめぐる戦争・恐慌の発生が懸念されます。
 こうなると、すでに70億を超えた大人口、また世界中が連結しているグローバル経済は、たいへんなハイ・リスクです。いまの世界は、「どこか一角」が崩れただけで、全体が潰れてしまうような構造をしているからです。
 もしかすると、じき寒冷化が始まって、「寒冷化に対抗するため温室ガスをもっと増やせ」なんて必要が叫ばれるかもしれません…。

 もちろん来るべき変動が「寒冷化」であるとは限らず、無氷河期「長い夏」のような高温期への変移が待ち受けていることだってありえます。
 結局のところ、これから「太陽-地球システム」がどう変動するのかは、ほとんど予測不能です。頼りなくて申し訳ないが、これがいま可能な唯一の結論です。
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2012年1月18日 (水)

気候歴史学ノート⑧-4度の「太陽極小期」

 前回では、中世小氷期の開始(13C)まで扱いました。
 ここから19Cまでは気温の「上昇急落」サイクルがくり返されます。その最大の要因は、太陽活動の変動です。
 太陽は、活溌なときは表面温度差が大きくなり、多くの黒点が現れます。逆に不活発なときは黒点がほとんどなくなり、これを「極小期」といいます。
 中世から近世までには、4度の極小期があったとされています。

◆①ウォルフ極小期(1350頃)
 これは中世小氷期(13C~)への追い打ち要因となりました。まさしくこの時期にペスト大禍(黒死病)が襲ったことは、前回で触れました。

◆②シュペッラー極小期(1450~1570)
 この時期には世界中で大火山爆発も連続して、またも寒冷化が起こりました。
 ことに西・北欧では「冬の酷寒/夏の豪雨」の打撃がひどく、この社会不安から「魔女狩り」が荒れ狂った。恐慌をきたした人々は、天候不順を「魔女」のせいだと決めつけて、密告・拷問・リンチの連鎖で4万人を殺したのです。
(ただし南欧には寒冷化の被害はなく、イタリアを中心に「ルネサンス」の活況が見られました)

 日本では、長禄寛正の飢饉(1459~1461)で8万人が死亡して、応仁の乱(1467~)へつながります。これから一向一揆や「下克上」の嵐が吹き荒れる戦国時代が始まります。

◆シュペッラー極小期の明け-「近世」の始まり
 なお②が終了すると同時に、「近世」の形成が始まります。
 これから国力上昇となったのは、英国(アルマダ勝利)・オランダ(独立)・ロシア(シベリア征服開始)・後金(ヌルハチ挙兵)・日本(天下統一)などです。
 いっぽう国力下降となったのは、スペイン(アルマダ敗戦)・ポルトガル(消滅)・イタリア(衰退)・トルコ(レパント敗戦)・明(衰退)などです。
 全体に「北高南低」の傾向が読み取れる…と思いませんか?

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◆③マウンダー極小期(1645~1715)
「近世」始めのこの時期も、また極小期に襲われました。
 西・北欧では1700年前後が極端な低温期で、フランスでは飢えと寒さで200万人が死亡します。フィンランドではなお激甚で、全人口の1/3が死んだという。
 中国では、満族が南下して明朝を叩き潰し(1644清朝成立)、漢族に対して凄惨な弾圧を加えました。この17C後半は、直近五百年で最寒であったとされています。

 日本は江戸幕府の初期であるが、時代劇のイメージとは異なって、酷寒・飢饉が深刻でした。寛永の飢饉(1642~)や元禄の飢饉(1691~)など、北日本で激甚な被害が出た。餓死は少なくとも数十万人単位でしょう。まさしくこの頃から日本人の身長は縮んでゆき、江戸時代をつうじて回復しません。深刻な食糧不足の結果です。

 なおマウンダー極小期が明けたはずの享保の飢饉(1732~)は、寒冷化でなく、干魃とイナゴ害によるものです。これも96万人が餓死する大惨事となりました。

◆④ダルトン極小期(1770~1830)
 18Cは気温の乱高下が猛烈でした。後半からダルトン極小期が始まり、くわえて1783にアイスランドのラーキ火山また日本の浅間山が大噴火、これから気温が急落します。
 フランスでは1785まで低温で、それがとつぜん1788に干魃・雹害から大凶作となりました。穀物価格が急騰し、これが翌1789の「フランス革命」に直結します。

 1812には大火山爆発が各所であり、再び気温が急落します。まさしく同年、ナポレオン軍はロシア遠征で-32度の寒波に襲われ、惨憺たる敗北を喫しました。
 1815にはインドネシアのタンボラ火山が大爆発し、1万2千の住民を犠牲にしました。爆発粉塵による急冷化で、翌1816は「夏のなかった年」となります。独立まもないアメリカで80万人が凍死しました。
 日本もまさしくこの時期に、史上最悪の天明の大飢饉(1782~)、また天保の大飢饉(1833~)に襲われました。死者は数十万~百万の規模です。人が人を喰ったなど、悲惨な話が数多く伝わります。
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 極小期が明けた後も、しばらくは気候が荒れ、アイルランドのジャガイモ飢饉(1845~)では100万人が餓死、50万人が米国などへ脱出します。さらにインド大干魃(1880頃)では1900万以上の死者が出ました。
 それが20Cの到来ごろから、高温安定の「現暖期」が始まります…。

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2012年1月11日 (水)

気候歴史学ノート⑦-「中世温暖期」とその崩壊

 前回では「古代温暖期~その崩壊」を扱いました。今回は「中世温暖期~その崩壊」を見届けます。

◆寒冷からの回復期-唐帝国とアッバース朝
 古代温暖期が「530年代の急冷」で潰えたのち、ややあって、気温はゆっくり上昇に向かいました。この回復期(700~900頃)に、中国では唐帝国が栄え、中東ではアッバース朝が最盛期を迎えます。
 唐を興した李氏は、西域系の軍閥(武川鎮)の出で、その元勲にも異族出身者が目立ちます(鮮卑族の長孫無忌、アーリア系の尉遅敬徳など)。
 イスラム世界を統一したアッバース朝は、その唐帝国をも撃破して(751タラス河の戦い)、ユーラシアの広域にわたる商業帝国を築きました。いわゆる「アッバース革命」です。
 日本でも、この回復期に朝廷勢力が奥羽へと北進して、蝦夷の制圧を進めました。

◆中世温暖期-ヴァイキング・十字軍・モンゴル帝国
 900~1100年までは大火山爆発がなく、また太陽活動が活溌となったため、これから高温期が1300年頃まで続きます。これが中世温暖期(MWP)です。世界的に海面も上昇しました(ロットネスト海進)。
 高緯度地帯が温暖・湿潤になったかわり、中緯度地帯では乾燥化が進みます。このためアッバース朝が凋落する。また中央アジア遊牧民の大流入で、中国も「五代十国」の大乱に陥りました。
 いっぽう西・北欧では温暖化・人口増が著しく、「中世ルネサンス」と呼ばれる活況が始まります。
 北欧の温暖化は、ノルマン人の人口を増大させ、これから彼らの躍進が起こりました。いわゆる「ヴァイキング嵐」です。彼らはロシア建国(リューリクによる)、北米航海(ソルフィン・カルルセフニによる)、英国征服(ウィリアムによる)など、多方面に進出しました。
 さらに西・北欧の台頭は、ノルマン人を尖兵とした「十字軍」の嵐を生み、東地中海を席巻します。これで中世ローマ帝国が踏み潰され(1204)、イスラム世界も痛撃された。
 中東では、トルコ人の侵入~十字軍の劫略~モンゴル帝国の征服が連続して、大混乱が続きます。
 モンゴルでは、温暖化による人口増→12Cの大干魃から、チンギス汗による大征服が起こりました。これから空前の大帝国が形成されます。
 北日本の温暖化は、奥州藤原氏東国源氏の躍進を可能にしました。また西日本の乾燥化=干魃による治承4年(1180)の西国大飢饉は、いわゆる「平家の都落ち」に直結しました。
 なお日本で源頼朝が「武士政権」を樹立した(1180)のは、高麗で鄭仲夫が「武臣政権」を樹立した(1171)のと同時期です。ヴァイキング、十字軍、モンゴル帝国ともあわせて、世界的に「武力勃興」のシンクロ現象が見られます。

 北米の寒帯では、アラスカで1000頃にチューレ文化が発生しました。すなわち「現エスキモー」の成立です。よりすぐれた寒冷適応能力をもつ彼らは、ドーセット人(旧エスキモー)を武力で駆逐し始めます。

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◆中世のカタストロフ-「小氷期」と「黒死病」
 ところが13Cから気温が急落して、小氷期(LIA)が始まります。氷河拡大が再び始まり、世界的な大崩壊が発生しました。
 ヨーロッパの寒冷化→生産低下はことにひどく、1300年代の初頭には150万人が餓死する大惨事となっています。「暗黒の中世」の到来です。とりわけ北欧のノルマン人は大打撃を受け、その勢力も凋落しました。

 ノルマン人が北米植民を図ったとき、これと戦って追い出したのはドーセット人(旧エスキモー)でした。しかし彼らは1400頃までに、現エスキモーの圧迫で全滅しました。
 さらに現エスキモーは、北米からグリーンランドへも侵入して、この地で極寒化に苦しんでいたノルマン入植者をも全滅させました(1435頃)。

 中国で1332に起こった黄河大氾濫は、700万人が死亡する大惨事となりました。さらにこの大量死からペストが蔓延、中央アジアを経て西方へも伝播します。
 このペスト禍(黒死病)は、全世界で4億人が死亡する地獄絵図となりました。中国では1億人(全人口の1/2)が、ヨーロッパでは2500万人(全人口の1/3)が死んだのです。これがどういう状況だったか、ちょっと考えてみてください。
 ヨーロッパでは再び終末思想が蔓延して、「受難」や「死の舞踏」が多く画題にされました。
 日本でも、13C半ばから飢饉と「土一揆」が激増し、経済窮乏(と元寇ショック)から鎌倉幕府が滅びます。南北朝期にも混乱はなお続いて、末法思想百王説(天皇家が百代目で亡びるという予言)が蔓延しました。

[過去関連記事]
*ノルマン人とエスキモー-「★民族移動の人類史②」
*鎌倉幕府の成立年1180-「★武士の起源論⑱」
*ローマを滅ぼした十字軍-「★ギリシアとローマはいつ滅んだか」

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2012年1月 4日 (水)

気候歴史学ノート⑥-「古代温暖期」とその崩壊

 前回は、第四次ビオラ振動(BC800頃)による地中海の大混乱、西周の崩壊、縄文文明の終焉までを見届けました。
 今回は「古代温暖期その崩壊」を見届けます。

◆古代温暖期-ローマ・パルティア・漢の繁栄
 BC9~8Cの混乱期に、地中海では、次代につながる三つの胎動が見られました。
①ギリシア民族(ヘレネー)の形成 ←ドーリス人+ペラスゴイの融合から。
②カルタゴ建国 ←フェニキア人の西遷から。
③ローマ建国 ←エトルリア人+ラティウム人+サビニ人の融合から。

 この3勢力は、温暖化とともに発展して、抗争に入りました。BC2Cにローマはカルタゴを叩き潰し、ギリシアをも併呑して、地中海を制圧します。
 いっぽう中東では、アッシリア→バビロニア→ペルシア→アレクサンドロス帝国~と目まぐるしい覇権交替が起こったのち、BC2Cからパルティア帝国が台頭しました。
 また中国では、やはり諸族(戦国七雄)が目まぐるしく興亡したのち、中華帝国が誕生しました(BC221秦→BC202漢)。これから漢族が形成されます。
 そしてBC2C頃から古代温暖期が始まるため、ローマ-パルティア-漢は並行的に繁栄期に入ります。この3帝国が連結したのが、いわゆるシルク・ロードです。東西交流が活発化し、はやくも文明はグローバル化の様相を呈しました。

◆古代温暖期の衰え-パルティアと漢の崩壊
 ところがAD2C頃から古代温暖期は翳り始め、ローマ-パルティア-漢は並行的に衰退します。
 全ユーラシア規模で民族移動が発生し、烏丸族(エヴェンキ族)の南下→匈奴族(フン族)の分散→ゲルマン諸族の南西移動を軸にして、大混乱が発生しました。
 3Cから、ローマはこの圧力で潰れ始め、ローマに圧されたパルティアも滅亡する。漢も諸族の流入で崩壊し、三国分裂に陥りました。
 おそらくこの波は日本へも及んでおり、これが3C半ばの倭国大乱~倭王権の形成へつながります。旧世界では大混乱が続きます。

(ちなみに中南米の文明は、気候帯が異なるため、上の動きとシンクロしません。中米文明の母胎となったオルメカ文化はBC1200に胎動し、マヤ古典文化はAD300~900頃に栄えました)
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◆古代温暖期の終了-ローマ崩壊と五胡十六国
 5Cには温暖期が終了し、寒冷化に追われていっそう民族移動が激化します。フン族→ゲルマン諸族の「玉突き移動」の圧力で、ローマの西半は壊滅する。中国も異族流入で「五胡十六国」の大乱に陥りました。
 華北の覇権争いで、北魏(チベット族)が(鮮卑族)を破ったことから、大量の燕遺民が高句麗へ流入しました。これに力を得た高句麗は、百済を南へ追い立てます。この影響も倭国へ及び、雄略大王による百済支援へとつながります。

◆「530年代の破局」-ペスト蔓延から終末思想へ
 535~538年には、全世界で「酷寒・飢饉」が突発しました。これは大火山爆発のせいと思われます(ただし火山が特定できないので、天体衝突説もあるそう)。
 中国で535年11月に「黄塵が雪のよう降った」というのが、この異変の初見だそうです。明くる536~537年にかけ「晩夏に降雪・大飢饉」が連続しました。折から南北朝の混乱期(北魏分裂が535)で、動乱にいっそう拍車がかかりました。

 高句麗でも535~7年にかけ「疫病と大飢饉」とあり、百済が538年に南の泗沘へ遷都したのも寒冷化が背景にあるのでしょう。百済や新羅の南下圧力が強まったことから、このころ伽耶諸国は次々と潰えました。
 倭国では、530年代が「継体朝/欽明朝」の断絶期にあたっており、宣化(継体の次子)の名による「餓え・寒さに備えよ!」の非常勅令も記録される。このあたりの『書紀』編年には疑問が多いが、ともかく何か動乱のあったことが伺えます。

 東ローマ~西欧では、「536晩夏から537まで太陽が暗くなった」「日照は一日4時間」「戦争と飢饉で大量死」など多くの証言が残っています。
 さらに536大飢饉から、アフリカで発生したペストが、中東~ヨーロッパ全域へ拡大しました。541に罹災した東ローマは、回復不能な打撃を受けます(以後百年で首都人口が40万→10万へ落ちた!)。
 これから「この世が終わる」というキリスト教終末思想が蔓延して、古典ギリシア文化は完全に消滅しました。また西欧の先住民ケルト人が、辺境の一部を除いて壊滅しました。

 ササン朝ペルシアも衰退に歯止めがかからず、中東全域にも「この世が終わる」という終末思想が蔓延します。この切迫した恐怖から、イスラム教が生まれてきます(610)。

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2011年12月28日 (水)

気候歴史学ノート⑤-古代文明と「ビオラ振動」

 前回では、1.5万~8千年前に連続した気候振動から「新石器革命」が起こったこと、その革命のち2500年の「長い夏」までに全人口が倍増したこと-を述べてきました。
 今回は、いよいよ古代文明の黎明期へ入ってゆきます。

◆「長い夏」の3つの異変
「長い夏」は8000~5500年前まで続きました。この間はエルニーニョ現象も停まっており、気候はたいへん安定していた。まずこの時期のトピックを拾いましょう。

1)温暖化による海進で、7600年前に地中海と黒海が接続しました。このため地中海から黒海へ大量の海水が流入して、黒海は大増水、その周辺住民は四散を余儀なくされます。田家氏は、これが中東に現れたシュメール人(非セム族)の起源でないか?と述べています。

2)北欧や北米は巨大氷床があったため酷寒だったが、北東アジアには氷床がなかったのでわりあいに温暖でした。このため日本や中国では早くから先史文化が芽吹きました。
【北日本】縄文文化(1..65万年前~)。
【南日本】貝文文化(9500年前~)。
【華南】 長江文明(1.4万年前~)。
【華北】 黄河文明(7000年前~)。
 ところが7300年前、鬼界火山が大爆発して、南日本はいちめん火山灰で覆われます。このため貝文文化が壊滅しました。南西日本はほとんど「人口空白」となり、この状況は弥生人の登場まで続きます。

3)
海進により、スンダランドが消滅しました。このためオーストロネシア人は、東南アジア~華南や太平洋へ拡散を強いられます。

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◆「長い夏」の終わり~ビオラ振動期へ
 5500年前、とうとう「長い夏」が終わり、これから「急冷→ゆっくり温暖化」のサイクルが現れます。これがビオラ振動①~④です。
ⅰ)
近日点が北半球から南半球へ遷ったこと、ⅱ)地軸の傾きが緩まったこと、ⅲ)太陽活動の落ち込み-などがその主因と推定されます。消えていたエルニーニョ現象もこの時期から復活して、気候は不安定となります。
 地球の「熱の循環」は、すなわち「水の循環」なので、寒冷化はまた多くの地域で乾燥化を併発しました。

①5500年前-この頃から全地で「寒冷・乾燥化」が起こりました。それ以前の人々は山沿いで採集-狩猟-農耕生活をしていたが(垂直経済)、降雨が減少したために、人々は水辺へ移動を余儀なくされます。「大河文明」の始まりです。
 これからナイル氾濫に依存するエジプト文明や、灌漑に依存するシュメール文明らが発生しました。①→②間の温暖期に、これらが発展してゆきます。

②4200年前-中東ではBC2354に大火山爆発が発生し、その影響もあって再び劇的な「寒冷・乾燥化」が起こりました。
 エジプト古王国では、ファラオがナイル氾濫を正しく予言することによって神権を保っていました。ところが乾燥化でナイル氾濫が不順となり、ためにファラオの権威は失墜、古王国が滅亡します(BC2184)。
 また灌漑依存のシュメールも、塩害の悪化もあってやはり滅亡してしまいました(BC2004)。
 中国でも、北→南への移動圧力が強まったと考えられ、長江文明が崩壊します(良渚文化の終焉-BC2200頃)。
 日本では、北の縄文文明(三内丸山など)が衰退して、関東~信州へ南遷が起こりました。これは寒冷化にくわえて海進が起こったため、採集+海産経済が難しくなり、内陸経済へシフトしたためと思われます。

③3500年前-エーゲ海のサントリーニ島で大火山爆発が発生して、ミノア文明を滅亡に追い込みます(BC1627)。おそらくこれらが一因となり、三たび「寒冷・乾燥化」が発生しました。地中海へはドーリス人ヒッタイト人が侵入して、大混乱を呈します。
 いっぽう中国では、このすぐ後に淮河方面の集団が華北を押さえて、商王朝(殷)をうち立てました(BC1400頃)。この関連はよくわかりません。

④2800年前-BC1000~800頃にかけ太陽活動が急落したため、四たび「寒冷・乾燥化」が襲来しました。ゲルマン人ケルト人の「玉突き南下」が発生し、エジプトも衰えて南のヌビア人に征服された。いっぽうこの混乱期にアッシリア帝国は版図を拡大。ギリシア、ローマ、カルタゴら次代勢力も胚胎します。
 また中国の華南では、四川で三星堆文化の崩壊(BC1200頃)、長江文明の残滓と見られる呉城文化の滅亡(BC1000頃)が相次ぎます。
 華北では、BC1027に西の姜族(羌族)が商を倒し、周王朝を樹立しました。だが周は、BC885に「十月之交」と呼ばれる天変地異(日蝕と大震災)に襲われます。これはひどいカタストロフで、周の崩壊に直結しました。これから異族侵入による大混乱が始まります。
 日本では、樹木年輪の推定から、BC1056に気温の急落があったとされています。これが縄文文明をほぼ壊滅に追い込みました。また寒冷化に追い立てられて、大陸・半島から弥生人の侵入が始まります。
 縄文晩期の人口は(北日本中心に)推定7.6万人、それが弥生時代には(西日本中心に)60万人へと激増している。自然増でありえないことは明らかです。
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[過去関連記事]-「★日本人の起源・再考」

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2011年12月25日 (日)

気候歴史学ノート④-現間氷期の始まり~「長い夏」まで

 人類はどうにか4~2万年前の最終氷期を乗り切って、1.8万年前~の現間氷期を迎えました。だがここからの一万年は、「ゆっくり温暖化突然の急冷」の気候振動の連続です。そのたびに人類集団も繁殖と崩壊をくり返します。
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◆温暖化(△)と寒の戻り(▼)
△最終氷期が終了し、地球はだんだんと温暖化しはじめます。1.5万年前のベーリング暖期あたりから、再び人類の放散が本格化したと思われます。

▼ところが1.45万年前、とつぜん急冷却が起こりました(オールダー・ドリアス期)。これはハインリッヒ・イベントによるものです。
 ハインリッヒ・イベントは、北米大陸の氷床が北大西洋に「ずり落ち」して起こる寒冷化現象です。過去10万年で6回あり、この時のものが最新です。これで北大西洋海流が停まったため、とくに北米や北欧は極寒に陥りました。

△上の影響が抜けたあと、1.35万年前からアレレード暖期に入ります。温暖化による海進で、この頃からスンダランド(インドネシアあたりにあった半大陸)が水没を始めました。スンダランドに住んでいたオーストロネシア人は、水没に追われて東南アジアや太平洋へ放散を始めます。

▼しかして1.29万年前、またも急冷却が起きます(ヤンガー・ドリアス期)。これはアガシ湖の大決壊によるものです。
 今のカナダ全域は、当時はローレンタイド氷床によって覆われていました。その氷床の融水が、氷床南部に溜まっていたのがアガシ湖です。今の五大湖以上の面積があり、冷たい真水をたたえていました。その融水湖が決壊し、海まで溢れ出たのです。このため北大西洋海流は1300年に渡って停止し、全地球に劇的な寒冷・乾燥化を起こしました。

 このあとさらに△プレボレアル暖期を経て、▼1.13万年前にもアガシ湖の第二次決壊が起きました。さらに▼8200年前にも第三次決壊が起きました。

◆「温暖」な北太平洋の急冷化-ベーリング変動
 ところで北欧や北米は巨大氷床に覆われていたが、シベリア~北東アジアは氷床がなくわりあいに温暖でした。これはベーリング地峡の封鎖により、北極海の冷水が閉じ込められていたせいでしょう。この頃までシベリアは大型獣の群生する楽園で、インディアンたちはベーリング地峡からアラスカへ渡りました。
 ところが1万年前に、海進でベーリング地峡が水没したため(海峡になった)、北極海の冷水が太平洋へ流れ込んで、この方面で▼急冷化が起こりました。これはマンモス壊滅の一因となり(ヒトの狩猟圧も原因)、またシベリアのアルタイ族を放散に追い立てたと思われます。

◆気候振動と「新石器革命」
 最終氷期の終了後、アレレード暖期までに、人類は相当数に殖えていました(850万人?)。
 ところがヤンガー・ドリアス期に代表される「寒の戻り」のくり返しで、採集-狩猟では食糧が維持できなくなり、人類は再び危機に直面します。この危機を乗り切るため、再び大発明が起きました。これが牧畜・農耕・社会化の開始-いわゆる「新石器革命」です。

◆そして2500年間の「長い夏」へ
△8000年前あたりから、気温は「高止まり」で安定し、これがなんと5500年前まで続きます(アトランティック暖期)。これがいわゆる「長い夏」です。
「新石器革命」を経た人類は、この間に動物の家畜化・植物の栽培化をどんどんと進めてゆき、全人口も倍増(2千万人)しました。とくに中東と中国は、家畜化に適した動物・栽培化に適した植物に恵まれていたために、先進地域として発展します。(対して新大陸はこの条件から遅れを取った)
 その一方で、人口増から戦争が頻発するようになり、また家畜飼いから疫病(人畜感染症)も蔓延しました。まさに「文明」の始まりです。
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[過去関連記事]-「★家畜の起源史

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2011年12月22日 (木)

気候歴史学ノート③-人類と「氷期」の闘い

 気候歴史学の3回目です。今回は、人類と「氷期」の闘いが主題です。

◆18~13万年前-リス氷期のボトル・ネック
 すべてのヒト科(ホミニッド)はアフリカで生まれ、アフリカから外界への放散をくり返してきました。北京原人やネアンデルタール人などは、現生人類より以前にアフリカから放散して、滅んでいった種族です。

 ところで現生人類は、ほかの生物に比べて「遺伝子の幅」が極小です。たとえばアフリカ(人類の原郷)と南米(人類移動の最果て)の二人の遺伝子距離を取っても、それはアフリカの同じ山に棲むゴリラ二頭より近いという。
 これほど「遺伝子の幅」が狭いのは、18万~13万年前(リス氷期)のどこかで人類が絶滅しかけて、小集団になった時期があったせいだと思われます。すなわち第一次ボトル・ネックです。

◆12~9万年前-先行「出アフリカ」とその絶滅
 12万年前、温暖なエーミアン間氷期が始まると、現生人類の先行集団が「出アフリカ」に乗り出しました。だが彼らは東地中海まで出たところで、9万年前の寒冷期により絶滅してしまいました…。

◆8万年前-現在につながる「出アフリカ」
 ついで8万年前の温暖期に、再び現生人類の「出アフリカ」が起こりました。これこそ我々の祖先です。
(以前は「5万年前」とされていたが、人類学や考古学では、新たな遺物が見つかるたび年代が修正されてゆく)
 さて女性の遺伝子系統はミトコンドリアから辿りうるが、これは「アフリカで13系統/非アフリカで1系統」に帰着します。男性のそれもY染色体から辿りうるが、やはり「非アフリカは1系統」に帰着します。
 これは現生人類の中でも、「非アフリカ集団」はさらに極小の集団から発生したことを意味します。もしかすると「非アフリカ集団」は、まさに一組のアダム&イヴの子孫なのかもしれません。

◆7.4万年前-トバ火山爆発による「6年の冬」!
「出アフリカ」した現生集団を、まもなく大災害が襲いました。
 7.4万年前、スマトラ島のトバ火山が大噴火したのです。これは過去200万年で最大の噴火でした。膨大な火山灰が吐き出され、全地は「6年の冬」に閉ざされたという。人類は再び絶滅の危機に面しました。
 いったん殖えていた人類は、このとき数千人単位にまで数が減ったと推定されます。第二次ボトル・ネックです。
 ところで人につくシラミは3種あるが(アタマ/ケ/コロモ)、そのうち衣服につくコロモジラミが分岐したのは7万年前とされています。すなわちその頃に人は衣服を発明したのだ。するとそれは「6年の冬」に耐えるためであった可能性が高いでしょう。
 寒冷期のたび、人が「発明」「道具の進化」によって生き延びることは、このあと何度もくり返されます。

◆4~2万年前-「最終氷期」の試練
 トバ爆発を乗り切った少数の集団から、やがて旧大陸へひろく放散が起こりました。ところが彼らを三たび絶滅の危機が襲います。4万年前あたりから、最終氷期(ヴュルム氷期)が始まるからです。
 これは極めて長い試練で、2万年以上も続きました。とりわけ2.1~1.8万年前は極寒期(LGM)で、北欧や北米は巨大氷床に占拠された。
 このころ南欧のクロマニョン人は、平均寿命がきわめて短く、また凍傷で多くの指を失っていたことがわかっています。とくに女性は短命で、これは出産の負担のためらしい。いわば第三次ボトル・ネックです。
 この最終氷期を生き延びるため、3万年前には針や糸(縫い合わせの衣服)が、2万年前には弓矢が発明されました。人類が「予測・計画」の能力を獲得したのもこの頃であったという。まさしく最終氷期の試練こそが、今の人類をつくったのです。
 続きます。
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