2012年5月20日 (日)

「標準神話」の解題-レヴィ=ストロース批判⑥

 レヴィ=ストロースを、その論敵であったプロップの立場からぶった斬る4回目です。ここからはレヴィ=ストロースの大著『神話論理』をテキストに使います。

◆南米インディオの「標準神話」
 同書では、南米インディオのボロロ族のある神話をM1「標準神話」と設定して、そこからさまざまな神話の分析へつなげています。
 ではまずその「標準神話」なるものを紹介しましょう。

【M1-コンゴウインコとその巣】
少年たちの成人儀礼が間近になった。女たちは、その儀礼で使う飾りを作るため森へ行く。ところが一人の少年がその母をつけていって、森の中で母を犯した
息子の犯罪にが気づいた。父は息子に殺意を抱き、彼に「死霊の巣」へ行けと命ずる。だが祖母は少年の味方で、彼に「ハチドリの援助」を求めよと忠告した。少年は助言に従い、ハチドリの援助でぶじに生還した。
すると父は、少年を「鳥の巣あさり」に連れてゆき、崖の上に彼を置き去った。少年はトカゲを食べて命をつなぐが、餓えと汚物まみれで瀕死になる。
死にかけた少年の「尻」をコンドルが食べてしまい、彼は下半身を失った。もうハラワタもなくなったので、彼が食べた物はみな腹部から出てしまう。ところか彼はイモで「人工の尻」をつくり、それを新たに装着して戻ってきた。
戻ってくると、村は嵐で水没していた。村では全ての火が消えて、少年の祖母のところだけ火が残っていた。
少年は、弟と共謀してその父を森へ誘い出した。そして鹿に変身し、その父を川へ突き落として殺害した。さらに彼は父の妻たち(自身の母ふくむ)にも復讐した。

◆レヴィ=ストロースは困惑している
 一読すると「何じゃこりゃ?」って感じでしょう。素人さんならいざ知らず、レヴィ=ストロースも同じです。
 なにしろこの話は「母の強姦」から始まってるのに、その少年は罰されず、逆にそれを罰しようとした父の方が殺されてる(それに犯された母までも!)。文明的な倫理観をもってすれば、まさしくトンデモな結末です。
 レヴィ=ストロースはこの解釈に、とても苦しんでいるように見えます。そこで彼は神話のうちに「男/女」「文化/自然」などの対立項を探しながら、延々と迷走を重ねてゆく。
 ところが僕の見るところ、このM1はとてもシンプルな成り立ちです。では例によって「プロップ流」で解いてみせます。

◆プロップならこう解読する
 プロップによれば、「儀礼が崩れて神話になり、神話が崩れて昔話になる」という原則があります。この原則から、神話M1も、儀礼の残骸であることはすぐにわかる。
 その儀礼とは、①が明示するよう、「★成人儀礼」に他なりません。すなわち子どもは森へ行き、「死の試練」を受けねばならない。
 儀礼が生きてる段階では、このことはむろん「説明不要」です。ところが儀礼が廃れてしまうと、なぜ子どもが森へ行かねばならないのか? なぜ死の試練にさらされるのか? 理由がわからなくなってしまう
 そこでたとえばヨーロッパの民話だと、「悪いまま母が子どもを追放したから」などの理由が後づけされる。これはいわば説明できないものの合理化です。
 上の【M1】もこれと同じで、子どもが森へ追われて死の試練を受けねばならないことは決まっている。でもその理由がわからなくなったために、「母を強姦して父に憎まれた」が後づけされてるわけです(つまり、この理由は重要ではない)。
 ほんらいは「成人儀礼」の話型であり、少年が試練の勝利者となる結論も決まっている。だから少年が罰されず、敵(ここではたまたま父親)に打ち克つのも当たり前です。

 また少年が森へ行くとき、②祖母が彼に忠告します。これも完全に「成人儀礼」の定型です。③餓えと汚物に耐えるのも、やはり試練の定型です。

 ④「尻を失う」は奇異な要素に見えるが、実はこれも珍しくもない。というのは多くの未開民族では、「死の試練」のうちに「ハラワタの交換」というのがあるからです。
 つまり彼はもとの内臓を抜き取られて、新たな内臓を獲得する-という儀礼が演じられていた。シベリアやエスキモーのシャーマニズムでは定型の一つであり、よく神話にも出てきます。
 この「ハラワタの交換」が、ここでは「尻の交換」として語られているだけのことです。この「尻」がハラワタを含むことは、④の話中で明示されています。

 ⑤「祖母だけが火を持っていた」は、ほんらいは別の要素で、「火の起源」神話がここに接合したものです。

 どうでしょう? レヴィ=ストロースが「軽蔑」していたというプロップのやり方だと、この解読はほんとうに簡単ではありませんか?

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2012年5月17日 (木)

未開の論理と「二項対立」-レヴィ=ストロース批判⑤

 また題材と視点を変えて、レヴィ=ストロース批判の続きです。

◆『困らされたクランベリー仲間』
 ハワード・ノーマン著『エスキモーの民話』は、ユニークな撰集です。訳題には「エスキモー」とあるのだが、原題は「Northern Tales」で、ひろく北方世界の民話を集めてある。インディアンやアイヌの民話まで入ってます。
 その巻頭にある第一話、〈困らされたクランベリー仲間〉は、モンターニャ・インディアンのごく短いお話です。

「背高のクランベリーと背低のクランベリーは、仲良しの狩り仲間だった。彼らの家は湖に面していた。
 秋になり、クランベリーたちは熟して肥った。あるとき二人が家の中でだらだら寝そべっていると、湖をヘラジカが渡ってゆく音が聞こえた。
 二人はすぐに飛び起きて、弓矢を持って表へ向かった。ところがあまりに肥っていたので、戸口で一緒にギュウギュウと詰まってしまった。その間にヘラジカは悠々と湖を渡り去った。
 そうやってヘラジカは、二人の仲良しをからかっていたんだ」

 短い話だが、このおかしみがわかるでしょうか?
 インディアンの思考では、動物も植物も「同じ人間」なのであり、よってとうぜん彼らも人間と同じように生きている-と理解されます。だから彼らも家に住み、弓矢を持ち、狩猟生活をしてるわけです。
 ところが彼らは果実(ベリー)でもあるのだから、秋には熟してまんまるに肥っちゃう。そのせいで家の戸口で詰まっちゃうわけ。
 合理的思考をする我々には、「じゃあ彼らは果実の姿なのか?/それとも人間の姿なのか?」って当惑させられてしまうけれど、インディアンはこういう疑問を抱かない。インディアンにとっては「果実=人間」は同等で、「果実か/人間か」という二項対立はないからです。
 プロップに倣えば、これは未開民族における「未分化」の思考です。このような段階では、「獣は人間である」ことも当然として語られます。

◆獣は人間「である」-Ⅰ型の思考
 じっさいインディアン神話では、①「獣は人間である」例はいたるところに出てきます。いっぽう人間もよく獣になるのだが、これは②「人間は獣になる」と語られる。①②は微妙だが重要な違いなので、よく注意してください。
 たとえば前掲したナバホ神話の〈★熊になった娘〉では、この関係が次のよう語られます。

コヨーテは獣である。彼にはむろん尻尾があり、四つ足で走り回る。だが同時にコヨーテは人間でもある。彼は女たちをうっとりさせる美男子である。
いっぽう娘(人間の女)は、魔法によって熊に変身する。そのとき彼女には牙と毛が生え、鼻が長くなり、巨大化する。必要なときは人間に戻る

 つまり①獣は、「獣かつ人間」という重複した存在です。(獣∩人間)
 いっぽう②人間は、獣に変身するのであって、人間のまま獣ではありえません。どちらか一方なのであり、ここには排他律が働く。つまり「人間または獣」です。(人間∪獣)
 これがインディアン段階の、最も素朴な論理です。これをⅠ型と仮に呼びます。
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◆獣も人間「になる」-Ⅱ型の思考
 ところがインディアンよりさらに「分化」が進んだ段階では、③獣も「人間になる」と語られます。(獣∪人間)
 たとえば前掲のエスキモー神話「★アララナと弟」では、狼たちは皮を脱いで人間に変身していた。またユーラシア北方世界にひろく分布する「★白鳥女房」も、「鳥か/人間か」の排他的な変身が主題だから、まさにこれです。
 これはⅠ型より分化が進行しているので、Ⅱ型と呼びます。
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◆「二項対立」のないⅠ型思考
 以上のことを頭に入れると、インディアン神話(Ⅰ型)に対するレヴィ=ストロースの構造分析について、根本的な疑念が生じます。なぜなら彼は、Ⅰ型思考の分析に際しても、「獣/人間」を排他的な対立項と捉えているからです。
 たとえば『★アスディワル武勲詩』の解読で、セイウチ王国の旅【C2】について、レヴィ=ストロースは次のよう述べていました。

「鮭が登場する。A鮭は喰われる者である。そのあと鮭は人間の姿を取る。B鮭=人間は喰う者である。A/Bは乗り越え不能な対立項である。この乗り越えを犯した罰で、アスディワルは刑を受け石になった」

 すなわちレヴィ=ストロースは、ここに「獣∪人間」という排他律を前提している。しかし上に述べたよう、これはⅠ型にはないものです。Ⅰ型では「鮭=人間」はまったく当たり前の存在で、排他律は働きません。
 どうもレヴィ=ストロースには、このⅠ型の思考が理解できていないと思われます。彼は『神話論理』でも、南米インディオ(やはりⅠ型)の神話に対して、まったく同じミスをしている。
『神話論理』の批判については、次回以降で切り込みましょう。

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2012年5月14日 (月)

『アスディワル武勲詩』を解く3-レヴィ=ストロース批判④

 レヴィ=ストロースの『アスディワル武勲詩』を、その論敵であったプロップならどう解くか?-の3回目です。今回でまとめます。

◆プロップ解5-「成人」と「結婚」の儀礼から
 プロップによれば、①まず未開段階では「儀礼」があり、②儀礼が廃れると「神話」になり、③「神話」が信ぜられなくなると「魔法昔話」になる…という順序があります。つまり以下のような順番です。 

「①儀礼 ②神話③魔法昔話」

 さて当神話の第一の冒険【A2】では、太陽の娘に求婚したアスディワルが、その父たる太陽によって「死の試練」を課されます。たとえば彼は「熱い蒸し風呂」に耐えねばならない。彼はそれらの「試練」に打ち克ち、妻と宝(ここでは人々を飢餓から救う食糧)を獲得します。
 これはまさに現実に存在した「★結婚儀礼」そのものです。この儀礼では、首長の娘への求婚者は、その父たる首長から「死の試練」を課されねばならなかった。
 よって【A2】が「結婚儀礼」から発生したことは明白です。

 さらに第二の冒険【C2】では、アスディワルはまたも「死の試練」をくぐって地下へ降り、「海獣の国」に入ります。彼はここから「セイウチの胃袋」に呑み込まれて脱出し、胃袋より「吐き出され」て生還する。
 これもまさに現実に存在した「★成人儀礼」そのものです。この儀礼では、成人結社への加入者は、やはり「死の試練」を課されて生き延びねばならなかった。
 さらにここ北米西岸の儀礼では、このとき作り物の「祖獣霊」が用意されて、加入者を「呑み込み/吐き出す」ことを演じました。それによって子どもは死に、戦士となって再生した-と見なされたわけ。中沢新一『熊から王へ』p173には、この実在した儀礼のスケッチが紹介されています。
 アスディワルが胃袋に「呑み込まれ/吐き出される」のは、まさにこれの反映です。よって【C2】が「成人儀礼」から発生したことも明白です。

 なお第一の冒険の後日譚である【A3】では、アスディワルが結婚した後で妻(太陽の娘)を裏切ります。
 これは当初の形では、ほんらい妻を「忘却する」エピソードであったはずだ(前出の〈★緑の山〉にもこれがあった)。これの起源は、「戦士結社」からの帰還に関わります。
 すなわち男が結社を脱けて俗世へ戻るときには、彼は結社であったことをみな「忘れた」と見なされた。結社にいた「妹」との恋愛関係も含めてです。だから「妹」が俗世へ戻ってなお彼との関係を望むならば、彼女は男に「思い出させ」なければならなかった。
(*なおここでの「妹」は、ちょっと特殊な概念なので、「★成人儀礼」の記事で確認してください)

 その「忘却する」エピソードが、おそらく後で「裏切りによる結婚の破綻」へと差し替えられているのです。なぜ差し替えたかといえば、むろん物語を【A】で完結させないためです。続編【C】につなぐには、主人公を独身に戻す必要があり、それゆえ【A】の結婚は破綻させられたのだ。
 つまりこの差し替えがなされたのは、続編【C】が追加された段階です。

◆「構成順」の再整理
 以上すべての点を踏まえて、再び物語の「構成順」を整理すると、以下のようです。

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 プロップや僕のような者が見れば(自分を偉い人と並べてごめんなさい)、この神話のどこが基層部分で、どこがより後の段階でくっついたかは、ほとんど一目瞭然です。僕などの眼には、この神話は、時系列の中で「段階的に建て増しされていった建物」であると見えます。これが「★ガロワとプロップ」で述べた「構造を見抜く力」ということの意味です。
 いっぽうレヴィ=ストロースには、この段階的な成立が見えておらず、ただ「無時間的」な平面図しか認識できない。そこで彼の分析は、的を外しているように見えるのです。

 ここまで代表的な5点に絞って「プロップならこう解く」という例を示しました。もっと詳しくやることもできるけれど、これだけでも、プロップ流とレヴィ=ストロース流の違いは明らかにできたでしょう。どちらがより説得的な解釈だと思いますか?

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2012年5月10日 (木)

『アスディワル武勲詩』を解く2-レヴィ=ストロース批判③

 前回から引き続き、レヴィ=ストロースの『アスディワル武勲詩』を、その論敵であったプロップならどう解くか?-を述べてゆきます。

◆プロップ解2-【A】は飢餓救済の呪話
 シベリア民族やエスキモーには、「獲物を呼び込むためのお話」が多くあります。すなわち食を得るための儀礼呪話です。
 たとえば斉藤君子氏の『★シベリア神話の旅』には、真冬の飢餓時に「獲物が自ら飛び込んでくる」ことを願ったエスキモーの話や、狩猟において「獲物の主を喜ばせる」ハカスの話などが紹介されています。

 さてアスディワル物語の「初編」は、飢餓【A0】からスタートして、彼が天から食糧を持ち帰る【A2】で終わっていた。ならばこれも同じ呪話です。
 すなわち原話【A】は、「人々を飢餓から救う英雄」の物語であり、それが語られた動機とは、「飢餓から救われることへの待望」であったでしょう。
 これはレヴィ=ストロースのいう「婚制の社会矛盾を表出するため」なんて哲学的な動機より、よほど現実的だと思いませんか?

◆プロップ解3-続編【C】は異方向へ
 ついで【C】は、おそらく【A】がじゅうぶん人々に知られた後で追加された続編です。つまり有名な英雄アスディワルの「さらなる活躍」を聞きたいと、多くの人々が願ったから生み出された。
 プロップは、英雄神話に続編が追加される場合には、彼の旅は以前と「異なった方向」へなされるものだ-と述べています。(『魔法昔話の研究』p236)
 はたして【A】は「天上への旅」であったが、続く【C】は「地下への旅」で、みごとに方向は真逆になってる。まさにプロップの言うとおりに、続編【C】は作られているわけです。

◆プロップ解4-「地名」と「自然」への附会
 物語の導入で、それぞれ夫を失った母と娘が出会うことに、レヴィ=ストロースは象徴的な深い意味があるといいます。(それは「嫁入婚」の崩壊であり、女系家族による起点である…)
 さて採録者ボアズによれば、その場所は「二人の女が出会った所」という地名で、実際にあった土地だという。
 ではプロップなら言うでしょう。これは初めに「二人の女が出会った所」という地名があり、そこへ英雄伝説が附会されたのだと。娘(英雄の母)だけでは「二人の女」に足りないから、そこにその母(英雄の祖母)も加えられただけのことです。じっさいこの母は、物語に何の役割も持っていません。
 このような地名にコジツケた起源譚は、伝説ではよくあるもので、『聖書』や『古事記』にも山ほどあります。

 同じことが、英雄父子の「石になった」最期についても言えるでしょう。つまり初めに「人のような石」があって、それが伝説の英雄の名で呼ばれ、結果として「英雄が石になった」伝説が附会したわけ。
 英雄父子は万能の道具を持っていたはずだから、どうして石になったのかは説明が必要です。だから「道具を忘れていった」が後づけされたのだ。

 ブロップによれば、口承文芸では「結果」が先に決まっていて、何故そうなったかという「理由」は後からどうにでもつくものです。つまり「理由」は重要ではない。
 いっぽうレヴィ=ストロースは、その「理由」にこだわっており、二人が石になったのは罪を犯して罰されたからだ-という苦しい説明をしています。しかし「理由」を重視するのも、「天罰で石にされた」も、まったく西欧人の発想です。インディアンはそんな発想はしないものです。
 次回で、まとめます。

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2012年5月 8日 (火)

『アスディワル武勲詩』を解く1-レヴィ=ストロース批判②

 前回では、北米ツィムシアン族の英雄神話と、それに対するレヴィ=ストロースの構造分析を紹介しました。
 ところが僕はレヴィ=ストロースの信奉者でなく、その「論敵」であったプロップの信奉者です。そこでかの神話をプロップならどう解くか?-を述べてみます。

◆プロップ対レヴィ=ストロース
 具体的な分析に入る前に、レヴィ=ストロースとプロップの論戦から紹介しましょう。
 この論戦は、まずレヴィ=ストロースがプロップを攻撃して起こりました。すなわち彼はプロップを、次のようにけなしたのです。

ⅰ)物語のうわべしか見ない「形式主義者」である。
ⅱ)神話のじゅうぶんな知識がない。
ⅲ)物語を歴史の中で解くことができていない。

 この非難にブロップはまさしく激怒し、この三点は、むしろそのままレヴィ=ストロースにこそあてはまる-とやり返した。とりわけⅲは最もそうです。レヴィ=ストロースは神話を「無時間的」に捉えているが、ブロップはそれをつねに「段階的発展」として捉えているからです。

「私のことをあれほど軽蔑して書いているレヴィ=ストロース」
「レヴィ=ストロースより私の方が力がある」
 -というプロップの言葉には、レヴィ=ストロースに対するつよい怒りと対決姿勢が滲んでいます。
 それでは以上を前提として、僕の「プロップ流」による分析をご覧ください。

◆プロップ流の解法1-物語の「構成順」
 まず前回の粗筋を振り返ると、英雄アスディワルの「冒険-結婚」が3度くり返しになっています(A-B-C)。またその子ワウクスの物語(E)は、明らかにほんらい別の伝説です。

【A】アスディワルの「第一の結婚」=「天への冒険」。
【B】彼の「第二の結婚」。(→この子がワウクス)
【C】彼の「第三の結婚」=「地下への冒険」。
【D】彼の石になった最期。
【E】息子ワウクスの物語。

この長い話がいちどに成立したわけはないので、もとの原話は【A】のみだったと考えうる。【A】は「ジャックと豆の木」型で、天から宝物を取ってくる話型であり、世界中にいっぱいあります。その破綻【A3】は、いわゆる「結婚の忘却」で、やはり民話の頻出モチーフ。
次に続編【C】がくっつく。おそらく原話【A】がじゅうぶん有名になった後で、もっと英雄を活躍させたいと思った人々が、この続編を望んだのでしょう。
 続編【C】は地下(獣の国)から生還する話型であり、これも北方の狩猟民にいっぱいあります。また【C】の妻(第三の妻)がその兄弟殺しに加担するのは、やはり民話に頻出の「妹の裏切り」モチーフです。
ついで彼の最期を語る【D】が来ます。なぜこの場面が加えられたかは、次回で述べます。
そのあと息子の話【E】がくっつく。おそらく【E】のワウクスは、もと独立話の主人公で、それが合成されたのでしょう。
するとここまでの本編【A-C-D】に、【E】ワウクス伝を接続しなくてはなりません。これは当初は【C】に接続していたはずです。つまり【C】の「第三の妻」が、はじめはワウクスの母であった。
 ところがこのような接続だと、次の2点が矛盾します。

●ワウクスは父とは無関係に育っているので、彼の養育者は「母方親族」でなければならない。
●ところが「第三の妻」は、【C3】で自身の兄弟たちを滅ぼしてしまっている。つまり「第三の妻」の親族は滅んでいる

 この矛盾を回避するため、【C】の半端なくり返しである【B】が最後に付加されました。つまり「第三の妻」のコピーとして、別人「第二の妻=ワウクスの母」が用意された。じっさい【B】が、【C】の部分重複であることは明白です。
 このようにして大長編が仕上がりました。すなわち全体の構成順は、次のようです。

【A+C+D+E+B】

 レヴィ=ストロースの「無時間的」な読み方では、こんな構成順は思いも寄らないことでしょう。
 続きます。

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2012年5月 6日 (日)

『アスディワル武勲詩』を読む-レヴィ=ストロース批判①

 今回は、インディアンの英雄神話をめぐるレヴィ=ストロースの論考、『アスディワル武勲詩』を扱います。

◆物語の舞台-北米ツィムシアン族の暮らし
 カナダの北西岸(ブリティッシュ・コロンビア州)には、多くの先住民が住んでいます。その一つであるツィムシアン族が伝えてきた「英雄神話」の主人公、彼の名がアスディワルです。
 ツィムシアン族は、農耕を知らず、漁労や狩猟で暮らしていました。春にはキャンドル・フィッシュが遡上し、夏にも鮭が遡上してくる。秋は狩猟シーズンで、初冬に祭りの月があります。冬は長く厳しくて、再び春のキャンドル・フィッシ遡上を迎えるまで、人々は飢餓に耐えねばならなかった。
 なおまた彼らの婚制は、支配層では「婿入婚」が理想だったが、現実には「嫁入婚」も入り混じっていたという。

【婿入婚】 少年ははじめ父の家で育つが、のち母方オジの家へ婿入りする。そしてオジの娘を娶り、オジから権利や財産を継承する。(言い換えると、男の権利や財産は、その甥が婿入りして相続する。) 
【嫁入婚】 一方で、妻が夫の家に嫁入りする結婚も現実に存在した。力ある首長などは、多くの妻を自宅に集めていたという。

 それでは以上を前提として、当神話を読んでみましょう。

◆『アスディワル武勲詩』のあらすじ

【A0】 冬の飢餓で同時に夫を失った母と娘が、それぞれ夫の村から生まれ故郷へ帰ろうとして、その中間点で再会した。
【A1】 このとき娘のもとに神人ハツェナスが来訪して、子を産ませた。この子がアスディワルである。父ハツェナスは、彼に聖なる道具(弓・槍・衣服・カンジキなど)を与えた。
【A2】 狩人アスディワルは、あるとき雌の白熊を追いかけて「天」へ昇った。すると白熊は美しい女〈宵の明星〉に変わり、彼を父〈太陽〉のもとへ連れて行った。アスディワルは「太陽の家」でさまざまな試練を受けた。けれども聖なる道具のおかげで、全ての試練をクリアできた。太陽は彼に、娘〈宵の明星〉との結婚を許した。彼は妻と、多くの食物を携えて、地上へ戻った。
【A3】 だが彼は、帰郷すると他の女と関係を持ち、妻〈宵の明星〉は怨んで去った。彼は妻を天へ追ったが、妻は雷で彼を撃ち殺した。しかし太陽が彼を惜しんで蘇生させた。彼が再び帰郷したとき、もうその母は死んでいた。

【B】 アスディワルはよそへ行き、第二の妻と結婚した。だが彼は、妻の4兄弟と口論して「狩り比べ」をすることになった。これに彼は勝利したが、怒った4兄弟は妹(第二の妻)を連れて別れ去った。

【C1】 彼はまたよそへ行き、第三の妻と結婚した。ここでもまた妻の4兄弟と口論して「狩り比べ」をすることになった。またも彼は勝利したが、怒った4兄弟は、彼を海中に置き去りにした。彼は溺死しかけたが、父神ハツェナスが現れて彼を救った。
【C2】 彼は鼠に導かれ、地下の「セイウチの国」へ入って、傷ついたセイウチたちを癒した。するとセイウチの王が、自分の胃袋を貸し与えて彼を包み、地上へ戻してくれた。
【C3】 復帰した彼は、妻(4兄弟の妹)の魔法援助を受けて、4兄弟をみな亡ぼした。

【D】 しかし彼は、第三の妻も棄てて、結局また故郷に戻った。そこで(第二の妻が産んでいた)息子ワウクスと再会した。そのあと狩りのため山へ行ったが、魔法のカンジキを忘れてきたため動けなくなり、犬とともに石になった

【E】 アスディワルの子ワウクスは、これも大狩人になり、従姉妹と結婚して双子をもうけた。しかし双子は山で死んだ。ワウクスも、魔法の槍を忘れて山に入ったため、山で動きが取れなくなった。妻は魔法で彼を助けることができたのだが、夫の危機を理解できず、援助をしなかった。それでワウクスも石になった

◆レヴィ=ストロースはこう解いた
 …以上がざっとした粗筋です。詳細は同書にて見てください。
 さてレヴィ=ストロースは、上の神話を、次のように解きました。

この社会で、支配層の理念は「婿入婚」だった。アスディワルの結婚【A・B・C】はみなこれである。
 その一方で「嫁入婚」も存在した。冒頭【A0】の母と娘(アスディワルの祖母と母)はもと夫の村にいたのだから、「嫁入婚」をしていたのである。この「嫁入婚」の崩壊から、物語はスタートしている。
 ワウクスの場合は、(母方オジでなく)父から権威や武具を相続しており、これも「嫁入婚」に近い。しかしこの結婚は【E】に見るよう破滅的なラストに至った。
 そこですなわちこの神話は、「嫁入婚/婿入婚」の解消しえない対立を表現したものと見なされる。「嫁入婚」の崩壊から始まった物語が、「婿入婚」の成就と失敗をくり返したのち、破綻しているからである。
物語が【A0】飢餓から始まっているのは、「飢餓が世界の動因」とする彼らの神話観念を表している。
アスディワルが【A2】太陽の試練に打ち克つのは、「婿入婚」がいったん勝利したことを表す。
アスディワルが【C2】獣の胃袋に入るのは、「喰う者」から「喰われる者」への転換であり、「嫁入婚」への回帰を表す。
しかし「喰う者/喰われる者」の二項対立は、じっさい乗り越え不能である。この矛盾を侵犯した罰として、アスディワルは「不動の刑」を受け、石になった。

◆レヴィ=ストロースの解き方
 ついでにレヴィ=ストロースの構造分析の特徴を述べておきます。
 一つは、それが「無時間的」だということです。彼は「未開神話」を夢に似たものと捉えており、よって夢の精神分析と同じやり方で、それも構造分析できるという。夢はもちろん「無時間的」です(一度に想起されるから)。
 いっぽう大文明のもつ「高度神話」は、歴史の中で形成されてきたものだから「無時間的」には扱えません。そこでこれには構造分析は適当でないという。

 もう一つは、「対立項」の抽出です。たとえば上の神話には、「男/女」、「天/地/海」、「嫁入婚/婿入婚」…などの対立記号がいっぱいある。これらの対立・媒介・乗り越え(とその失敗)などを読み取ることが、彼の分析手法です。こうしたレヴィ=ストロースのやり方には、フロイトのつよい影響が見て取れます。

 ところが僕は、このようなレヴィ=ストロースの解に、まったく同意できません。そこで次回は別の解釈を示しましょう。

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2012年5月 3日 (木)

『イギリス民話集』と人魚の起源

 今回は、岩波文庫版『イギリス民話集』をテキストに使いましょう。

◆おさらいを兼ねて
 まずは『イタリア民話集』を分析したのと同じ視点で、「★成人儀礼」に関わる例話をいくつか取り出します。

●少女の「加入儀礼」モチーフ。
『魔女の婆さん』-娘は魔女の家へ行かねばならない。道中「三つの障害」がある。それらに正しく振る舞うことで、ぶじに生きて帰ってこれる。
『トム・ティット・トット』-花嫁に「大量の糸を紡ぐ」試練が課される。援助者(悪魔)が試練を解決してくれる。
●戦士結社の「妹」に関わるモチーフ。
『フォックス氏』-豊かな「お城」に迎えられた妻に、「見るなの部屋」のタブーが課される。いわゆる〈青ひげ〉型の類話。
『白いペチコートの王女』-王女が、森の「盗賊の家」へ逃げ込み、そこを出たのち「盗賊」の一員である王子と結婚する。
『ノロウェイの黒い牛』-少女は騎士と婚約したのに、騎士がその結婚を忘却する。少女は三晩泣き続け、ようやく騎士に思い出させた。

 これらの話型は、みな前回までに解説ずみ。C「お城」とD「盗賊の家」は、ともに「戦士の家」の後世ふう変型です。Dで王子が「盗賊」というのもヘンであるが、これは彼がもと「戦士結社」にいたことを示している。
 さて同じことばかりやっててもしょうがないので、ここから切り口を変えて「人魚の起源」を考えます。

◆人魚の起源Ⅰ-「アザラシ女」
 では『ウェイストネス島の男』を紹介しましょう。
【男があるとき、海辺で人魚たち(裸の女)が遊んでいるのを見た。男はそっと近づいて、そのアザラシ皮を一枚奪い取った。人魚たちは慌てて海へ逃げていったが、アザラシ皮のない人魚は海に戻れない。彼女は「皮を返してください」と頼んだが、男は応じなかった。彼女は仕方なく男についてきて、言われるままに妻になった。
 年月がたち、女は多くの子を産んだ。ところが男の留守中に、幼い末娘が「皮の隠し場所」を母に教えた。彼女はたちまち皮を身につけ、海へ去った。】

 何じゃこりゃ…と思いませんか?
 まずすぐに気がつくのは、この話が、いわゆる「白鳥女房」と完全に同構造であることです。その鳥皮(羽衣)がアザラシ皮に置き換わっているだけです。
(*参照→「★羽衣天女の説話考」 「★羽衣とは何か?」
 では人魚は、なぜアザラシ皮がなければ海に戻れないのか? 答えは一つしかないでしょう。ここでの人魚は、つまり「アザラシ女」なのです。
 これが狩猟社会における、人魚ほんらいの古型でしょう。

◆人魚の起源Ⅱ-「水辺の生け贄」
 ただし、近代童話のロマンティックなイメージと異なって、土俗民話における人魚は、なにか危険で不吉なものです。それは船乗りを海へ引き込んで殺す者、あの世へ連れ去ってしまう者です。
 人魚の原型が、狩猟段階における「アザラシ女」であったとしても、それだけではこの不吉さは説明できない。ここには何か、他の要素も混入してます。
 では次の2話を見てください。

『ジョニー・クロイと人魚』
【水辺で人魚がを手にして、長い髪をとかしていた。男が櫛を取ると、人魚はついてきて男の妻になった。だが七年後、人魚は男と子どもたちを、みな海へ連れ去った】

『フェン地方の幽霊』
【沼に女の幽霊が出る。若くて裸で、赤ん坊を抱いている。彼女は釣り人に大漁をもたらす。水に投げ込まれた娘の幽霊という】

 これらは『★シベリア神話の旅3』で紹介した「水の精」と完全に同一像です(水辺で髪を櫛けずっていること、釣り人に大漁をもたらすこと)。
 すでに指摘したように、「水の精」は2つの要素の複合でした。

①「魚の母」-狩猟段階における獲物の主(ぬし)。森における「獣の母」、海における「海獣の母」の同類。太母=老婆であるのが原型。
②「生贄の娘」-農耕段階が始まると、水を求める生贄として、若い娘(生殖力のシンボル)が水源に投げ込まれた。これから水辺には「死せる美女」が出没するようになった。農耕世界の「水の女神」の原型。

 ②のゆえに、「水の精」は不吉でダークな影を帯びています。ケルトのバンシー(死を予告する洗濯女)や、ドイツのローレライ(人を水に引き込む女妖)も、この同類と見なしうる。
 これらが「アザラシ女」と結合したのが、つまり「人魚」であるでしょう。おそらく成立順は以下のようです。
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2012年4月30日 (月)

「成人儀礼」の痕跡-イタリア民話からナバホ神話へ

 前回では『イタリア民話集』を例にとって、未開「結婚儀礼」の痕跡を確認しました。今回は続いて「成人儀礼」の痕跡を探ります。

◆子どもを森へ追放すること
 まず男の子の場合から。『十四郎』では、14人兄弟の末弟が悪魔のもとへ行かされます。『ブルチーノ』では、7人兄弟の末弟が鬼女の家へ。『ぼくの袋に入れ!』では、12人兄弟の末弟が妖精女王のもとへ行く。いずれも末弟が主人公で、それぞれの相手から宝や呪能を入手します。

 次は女の子の場合です。『プレッツェモリーナ』では、娘は「大きくなったら魔女の家にさらわれる」と予告されます。『眠れる美女と子どもたち』でも、「15歳になったら死」を予告される。『乳しぼりの王女』では「18歳でさらわれる」です。これらは婚期に相当し、女の子の場合には、成人儀礼=結婚儀礼が結合しているのがわかります。

◆ナバホ神話との酷似
 さらに詳しく『プレッツェモリーナ』を見てみましょう。

少女は、魔女の家に行かねばならない。
だがその道は、四つの「障害」が塞いでいる。二対の扉、二対の犬、二対の靴職人、二対の掃除婦である。
③援助者(魔法使いの少年)が少女にあらかじめ警告する。少女は彼の指示どおり、四つの「障害」に対して正しく振る舞う。すると無事に通過できる。

 このモチーフもヨーロッパ全域にひろく分布し、他国の民話集からも拾い出せます。これがたいへん面白いのは、なんと北米インディアンのナバホ神話に、そっくりの場面があるからです。すなわち双子の文化英雄、ナァアイェッ・ネイザニとト・バジシュ・チニが、試練に旅立つ場面です。

少年たちは、太陽の家に行かねばならない。
だがその道は、四つの「障害」が塞いでいる。二対の怪物岩、二対の人斬り葦、二対の毒サボテン、熱砂である。
③援助者(蜘蛛女)が少年たちにあらかじめ警告する。少年たちは彼女の指示どおり、四つの「障害」に対して正しく振る舞う。すると無事に通過できる。

 ヨーロッパ民話とナバホ神話に、まったく同じモチーフが存在するのは何故でしょうか? この両者に「伝播」など想定することは不可能です。
 これも未開段階の「★成人儀礼」を頭に入れれば、容易に理解が可能になります。すなわちかつては実際に、こうした儀礼が行われていた。もちろんこの「障害」となる人やモノは、実際には成人儀礼をテストする大人たちの扮装です。

◆ナバホ神話の「成人儀礼」
 当然のことナバホ神話は、ヨーロッパ民話より古い段階を反映してます。蜘蛛女の助言③とは、具体的には以下のようです。

●はじめの4度は通してくれない。4度フェイントしろ。
●すると相手が質問するから、教えた呪文(合い言葉)で答えよ。
授けた呪符(通行証)を提示せよ。
●すると、5度目は安全に通過できる。

 これは成人儀礼でそのまま行われていた規則でしょう。双子はこれによってぶじ通過し、太陽の家にたどり着きます。だが太陽の家に着いてからも、さらに幾つかの試練がある。
 そのうち最大の試練は「熱いサウナで煮られること」です。これはたいへん高温なので、まともだったら生き残れない。だが精霊は彼らにそっと教えます。「サウナの地下に隠れ穴があるからそこへ入れ」と。これがすなわちトリックです。

◆サウナ(蒸し風呂)でのトリック
 実は前出の〈★熊になった娘〉でも、コヨーテが巨人を騙すのは、やはりサウナでのトリックでした。
 つまり彼は、あらかじめ骨と、血詰めの皮袋を用意している。そしてサウナの中で、自分の足を切り開いて骨を取り出す-というトリックを演じるわけ。その場面では「サウナは暗いのでトリックしやすい」と解説されています。
 血詰めの皮袋で「死んだふり/殺したふり」を演ずることは、ヨーロッパの民話にも例が多い。これを服の下に隠しておき、刃物で刺して出血してみせるわけです。よく「愚か者話」では、愚か者がこの手で女房or母親を「殺して再生」してみせます。このトリックは古くからあるのでしょう。

 ちなみにサウナ(蒸し風呂)は、先史時代から世界中にあり、インディアンにとっては医療・儀礼の重要な施設でした。北欧やロシアでも同様です。日本でもかつて「風呂」とはサウナのことで、天然の岩室が利用された。いわゆる「湯屋」の流行は、江戸中期以降だから、かなり最近の現象です。
 また「サウナで煮られること」は、ヨーロッパでは、のちに「鍋で煮られること」に置換されました。ギリシア神話のミノス王ほか、きわめて多くの例がある。でも大鍋は、金属文化の後期でないと造れないので、これがサウナより新しいことは明白です。

 ヨーロッパ民話には、このようなインディアン神話との共通要素が、意外にもよく見つかります。いっぽう東アジア(日本や中国など)ではそうでもない。
 ヨーロッパの大部分は、たかだか3~2千年前までは未開段階にありました。すなわち東アジアより未開を脱するのがだいぶ遅かった。
 ヨーロッパ民話に、未開儀礼の痕跡要素が多く見つかるのは、このことが原因ではないでしょうか?

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2012年4月27日 (金)

『イタリア民話集』に見る「結婚儀礼」の痕跡

 前2回で、未開段階における「★成人儀礼」「★結婚儀礼」の理念型を祖述しました。
 さて今回は、岩波文庫版のイタロ・カルヴィーノ編『イタリア民話集』を例にとって、「結婚儀礼」の痕跡を見てゆきます。

◆「結婚儀礼=王殺し」の痕跡
 同書は上下巻で、全75話を収録します。このうち魔法昔話に分類できるのが、大目に見て48話といったところ(ほかは小話・世態昔話・動物昔話・宗教譚・文芸など)。
 この48話を分母として、「結婚儀礼」に関わる要素のうち、次の4つを抽出します。
【A】ヒロインの幽閉・隔離。
【B】ヒロインの追放・逃亡。
【C】ヒロインの密通。
【Q】父orヒロインによる婿への難題。

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 小計が単純足し算になってないのは、一話のうちに複数モチーフを含むものがあるからです。たとえば【A】幽閉・隔離は、しばしば【C】密通とセットになります。

 ヒロインの幽閉は、しばしば徹底したものです。たとえば『籠のなかの王さま』『なつめ椰子・美しいなつめ椰子』では、父親が、娘を家ごと塗り込めてしまいます。それでも前者では王様が窓から侵入。後者では娘の方が地下から王宮(いずれ婿になる王様がいる)へ脱出してしまう。
『乳しぼりの女王』では、王女は地下に幽閉されます。『弾む小人』『魔女の首』では離宮に幽閉です。しかしいずれも王女は外部へ連れ去られるか、侵入してきた王子と密通する。
 また『カナリア王子』『眠れる美女と子どもたち』では、ヒロインは高い塔に幽閉されます。でもやはり王子は塔の中へ侵入して、ヒロインと密通してしまうのです。いわゆる〈ラプンツェル〉型です。

『エルバビアンカ』では、冒頭で王様が宣言します。「生まれてくるのが男の子だったらよいが、女の子なら殺してしまう」。しかし女児が生まれると、お妃はその子を知人の女性に密かに託します。そして彼女は隠れ家で成長して、よその王様と結婚してしまうのです。

『眠れる美女と子どもたち』では王女は眼を抉られます。また『七面鳥』では両手を切り落とされます。さらに『蛇の王子さま』では、眼も両手も失われる。それでも王女は、王or王子と結婚してしまいます。この話形はヨーロッパ全域にきわめて多く、〈手なし娘〉型と呼ばれます。

『木造りのマリーア』では、父から追われる王女が「木の服」に身を隠します。これもヨーロッパに多い〈皮かぶり娘〉の変型です。『塩みたいに好き』では、やはり父から追われる王女が燭台の中に身を隠す。これらは王女の隠匿です。
 レヴィ=ストロースは、南米インディオのある部族では、族長の娘が「袋詰め」で養育されていたと報告してます。すなわちこれが未開社会の実例であり、上の2話はその後世ふうの変型といえるでしょう。 

 婿への難題の典型例は、こんなふうです。『最初に通りかかった男に嫁いだ王女たち』で、王様は婿に言います。「三つの難題を解け。できねばお前の首を斬る」。また『この世の果てまで』ではこういわれる。「一日のうちに一サルマの土地を耕作できた男に、王女を与える。ただしできねば首を斬る」。

 父が娘を幽閉/追放すること【A・B】、また婿に死の難題を課すこと【Q】は、まさに父が「娘の結婚を恐れること」を意味します。
 それにも関わらず求婚者はどこからか侵入し、あるいは娘が脱け出して密通【C】が成立してしまうのです。

 なお『魔法の宮殿』では、婚約した女王が王子と再会したとき、「王子が眠っていて目を覚まさない」はめになります。『眠れる美女と子どもたち』でも、王子は再会のとき「病気で起きられない」となる。これは「男が結婚を忘却する」の変型です。

 まさしくこれらは未開段階における「結婚儀礼=王殺し」の痕跡モチーフです。それが全魔法昔話の過半数を占める(52%)事実を見てください。この儀礼が、どれほど強烈にヨーロッパの民話世界に刻み込まれているか、わかるでしょう。

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2012年4月24日 (火)

未開社会の「結婚儀礼」-魔法昔話の解題2

 前回に続いて、未開社会の「結婚儀礼」の、ドキュメントふう再構成です。なお以下で「王」と呼んでいるのは、実際には「部族ボス」くらいの意味です。

◆部族の王と、その娘
部族を王が支配している。彼は抜きん出て強い戦士で、その強さゆえ王となった。
 王の権限は二つある。一つは集団狩猟/戦争における「戦士結社」の指揮権である(ただし平時には発動できない)。もう一つは、女たちとの性的交渉権である。
 これはチンパンジーのボスによく似ている。彼は雄仲間(メールボンド)を率いる長であり、かつ雌たちとの性交に優先権を持つのである。

しかし、王は恐れている。彼は「前の王」を力で打ち負かし、その娘を娶って王になった。今度は彼が、新たな挑戦者と、それを呼び込む自分の娘とを恐れねばならないのだ。そこで彼は「娘を殺せ」と命令する。
 だが女たちは、おそらく娘を殺さない。女たちは娘を逃がし、ひそかに隠れ家で養育する。女たちにとって、王の娘は必要なのだ。結社員たちも知っていて黙認する。
 あるいは王は、自らの手で娘を殺害するかもしれない。それでもすべての娘を殺すことはできない。それは女たちが許さない。王は女たちの支持を失うわけにはいかない。それは彼自身の失脚に直結する。
 そこで王は、娘を牢に閉じ込める。あるいは皮袋に詰めてしまう。このとき娘の目を潰すとか、両手を切り落とすなどして、行動の自由を奪うこともある。

それでも王位、そして王の娘を求めて、求婚者たちがやって来る。このとき二つのことがある。第一に娘が呼ばれ、彼らと夜をともにする。男性能力の審査である。不能の男は婿になれない。
 第二は、王自身による求婚者との「難題」勝負である。それは力技の試合や、サウナで煮られることなど、「成人儀礼の試練」と同種である。ここにもトリックが隠されている。たとえばサウナの場合、火を焚く女たちが「加減」をする。求婚者たちは欺かれて殺される。部族の居住地まわりの柵に、彼らの首はさらされる。

だが…いずれ女たちは考える。今の王は、もう老いた。力は衰え、暴虐になり、よい夫でもなくなった。そろそろ彼には消えてもらおう。
 太母が女たちの意見をまとめ、結社員にも密かに知らせる。結社はつねに、若く強力な戦士の長を求めている。そこで結社も同意する。
 また求婚者たちがやって来る。娘が呼ばれ、彼らを試す。娘は一人の若者を気に入った。「あの人がいいわ」と娘が太母に言う。もとより虐げられた娘は、その父王になんの愛情も持っていない。
 王と婿との勝負になった。今度は女たちは、婿を助ける。婿はすでに娘から、トリックを生き延びる方法を聞き出していた。殺されるのは老王である。
 婿は生き残り、新王として迎えられる。娘との婚礼が準備される。

未開社会は早熟なので、すでに娘は性的経験を持っている。それでも結婚前の娘は、ここでは「処女」と見なされる。
 いまや婚礼が準備され、娘は処女を失うことになった。しかしこの社会には掟がある。誰でも処女を犯す者は、殺されねばならないのだ。女の権威の侵犯は、死に値するからである。
 そこで女たちはシャマンを呼ぶ。彼は、婿に先だって娘と初夜をともにする。シャマンは仮面で扮装しており、〈援助霊〉として彼女を犯す(自身の肉体で/あるいは棒で)。娘はおそらく恐怖して泣き叫ぶだろう。だがもちろん女たちは一切を容認する。
「処女」が奪われ、初夜の危険は払われた。シャマンは去り、今度こそほんとうに、婿が娘と結婚する。

◆「結婚儀礼」に由来するもの
 上に描き出したのは、あくまで一つの理念型です。現実には時・所によっていろいろなヴァリアントがあったはずです。
 ともあれこうした「結婚儀礼」が、魔法昔話における次の要素らの起源です。

●王が「王殺し」を恐れること。
●王が、王女の殺害を命じること。
●にも関わらず女たち(母・乳母)が、王女を隠れ家で養育すること。
●王女が手や眼を失うこと(手なし娘)。
●王女が獣皮をかぶせられること(皮かぶり娘)。
●王女が、塔/地下牢/井戸/洞窟に幽閉されること。
●にも関わらず、王女は必ず婿を引き込んでしまうこと。
●王女による婿の「審査」。
●王による婿への「難題」。あるいは王自身との「試合」。
●王女が父を裏切って、婿を助けること。
●初夜における婿の危機(膣に歯のある娘)。

 これらの儀礼を頭に入れて、魔法昔話や未開神話を読んでみれば、その痕跡が至る処に見出されることに気づくでしょう。たとえば紹介ずみの〈★緑の山〉など、まったく典型的なものです。

 なお以上のことを発見したのは、ウラジーミル・プロップで、僕は彼に追随しているだけです。興味のある方は、彼の『魔法昔話の起源』『魔法昔話の研究』をご参照ください。

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