「国造本紀」の4回目です。
この回では、前回示した「一覧表」を僕がどうやって整理したか、説明します。
ただし全てを解説すると、ものすごい分量になってしまい、一回や二回の記事では収まりがつきません。
そこで、作業の一部分だけ、例として書いておきます。
◆例1-「武内宿禰系氏族」について
まずは蘇我氏に注目します。リストに「蘇我系」と明記されるのは3人います。北陸の【δ3三国・δ7江沼・δ10伊弥頭(いみず)】です。
また遠江の【α9素賀(そが)】は、リストでは系統がわからないが、その名前から蘇我系だろう-と推定します。すると蘇我系は全4人で、これを一つに括ります。
ところで蘇我氏は、いわゆる「武内宿禰系氏族」の一つです。リストには、他にこの仲間とわかるのが3人います。
【β6穂】-武内宿禰の子・葛城襲津彦の四世孫。
【ζ17都怒(つぬ)】-紀臣と同祖。
【θ19葛津(ふじつ)】-紀直と同祖。
【β6穂】は、まさしく「武内系葛城氏」です。
いっぽう【ζ17都怒】は、近江津野(つの)神社の社伝と考え合わせれば、「武内系紀氏」と確定できます。この社伝によれば、同社はもと「武内宿禰の子の紀角宿禰」を祀ったものであり、創建者は「紀角宿禰の孫の田鳥宿禰=周防国の国造」だったとされるからです。【都怒】はたしかに周防国内に所在します。このように、「国造本紀」と古社伝承がよく一致することを見てください。
(★参照→「近江・湖北の古社めぐり②」)
また【θ19葛津】は、武内系(サカ族)の本拠と目される肥前国にあることから、やはり「武内系紀氏」と見なします。
以上の蘇我・葛城・紀氏らは、みな「武内系」として並列します。
ただし…葛城氏(ほかに2人いる)には注意が必要です。それというのは、葛城氏には異なった2系統がある-と思われるからです。すなわち、
1)鴨系の葛城氏-鴨氏祖タケツノミの勢力。2C末の崇神(ミマキイリヒコ)王権の立役者。神功東征では敗れて「負け組」となった。
2)武内系の葛城氏-武内宿禰の子・葛城襲津彦の勢力。3C半ばに神功東征によって奈良入りし、「勝ち組」として葛城入りした。
のこる葛城氏の2人、【α2葛城・θ6比多】については、「武内-襲津彦系」とは書かれていません。そこで、判断の難しいところであるが、この2人はいちおう「鴨系の葛城氏」として別に分けます。
類似の事情が紀氏にもあります。たとえば【ζ7石見】は「紀伊国造の同祖」とされているが、その【η1紀】国造は「神魂系」とされています。そこでこれらは「武内系紀氏」とは見なさずに、「神魂系」グループに括ります。
◆例2-物部系と出雲系
もう一つ例を挙げます。リストにとても多い物部氏の分類です。
まず「物部系」と明記されているのは、全部で10人います。また【η2熊野】国造は、「ニギハヤヒ系の大阿斗宿禰」とされており、阿刀氏=物部系ゆえ、これも加えると11人です。
この「物部系」の中には、「出雲大臣系」が2人、「大新川命系」が2人、「伊香色雄系」が5人います。そこでこれらはサブグループに分類します。
物部氏の中に「出雲大臣系」がいる-というのは、とても面白いことです。このことは、物部氏と出雲系が近縁であることを意味します。そこで両者を近いグループに並列します。
さてリストには「出雲系」が15人もいて、これは最大派閥です。このうちには【β16武蔵】の国造である兄多毛比(エタモヒ)の系統が5人います。これはサブグループに括ります。
また弥都侶岐(ミツロギ)系も3人います。さらにミツロギ系の一つ、【β24安房】は、【β21夷隅】また【θ3豊】と系統が同じという。そこで【夷隅】と【豊】も加えると、ミツロギ系は5人になります。
また「穂積氏」も物部系とされるので、これも近いグループに。
また出雲系と「尾張氏」は、ともに天穂日命の子孫というので、これも近いグループに並列します。
以上のような考察を、全国造に適用して、僕はこれらの系統を整理しました。上に見たようやや荒っぽいところがあるが、ベストは尽くしたつもりです。
いよいよ次回では、これらの作業によって完成した「系統別地図」をアップします。
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