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06/17/2006

ヒミコ〈女王国連合〉の崩壊-邪馬台国④

 前回からの続きです。
『書紀』が伝える景行の「クマソ征伐」。その実態は、すでに論証したように、ナラ畿内軍による〈北九州女王国連合〉の圧伏であった-と推断できます。
 では前回要約した景行紀①-⑫を、この仮説で読み替えてみるとしましょう。

◆シナリオ1「畿内軍、北九州征討へ」
①畿内ナラの王オオタラシヒコ=オシロワケが、〈北九州連合〉を撃つために西征した。これは強大化した「フロンティア」による「母胎」への下克上で、植民市ローマが母国エトルリアを撃滅した事例に類する。ナラ水軍は防府港に集結した。
 対して〈北九州連合〉も、豊前東岸の守りを固めた。〈連合〉盟主=ヤマト女王カムナツシヒメは、拠都の宇佐から出陣し、礒津山(小倉南の貫山)を本営とした。この山は、門司半島のノドを押さえ周防灘に臨む要地である。さらに彼女を中軸に、小倉-田川-中津-宇佐の4首長が支え合う「豊前防衛線」が形成された。
▼オオタラシヒコ=オシロワケ(大足彦忍代別)とは、景行の実名です。
〈連合〉本拠は筑前・筑後・肥前であって、ヤマト国=甘木市やミヌ国=吉野ヶ里らが、その枢軸と推定されます。盟主女王の出身国がヤマト国(邪馬台国)です。
▼ 「一国の魁師」カムナツシヒメ(神夏礒媛)。彼女こそ、女王=日巫女(ヒミコ)その人でしょう。「カム-ヒメ」は尊称と見なせるので、ほんらい彼女の実名は「ナツシ」または「ナツ」だったと思われます。

◆シナリオ2「豊州戦線-女王裏切る!」
ナラと〈連合〉両軍は、周防灘を挟んで睨み合った。ところが女王ナツシは、ナラ大軍に圧倒されたか、何らかの密約を交わしたか、ここで三神器を奉って寝返りした。そこでナラ先遣隊は、彼女に「豊前防衛線」の4首長を呼集させて、騙し討ちで片づけた。盟主女王の寝返りにより、豊前はあえなく潰えたのである。
おってオオタラシヒコ王らナラ軍主力も行橋上陸。豊後へ南侵する。
▼盟主裏切りと豊前失陥は、〈連合〉側には衝撃であったはずです。彼らは本土を護るため、日田の防備を固めたでしょう。日田は両筑-両豊を結節する「要」の地です。
女王ナツシの先導により、ナラ軍は豊後5首長を撃殺する。
竹田稲葉川の戦闘には、〈連合〉側も日田から応援を出したでしょう。これは血みどろの激闘だったと書かれており、実際には、ナラ軍の苦戦だったとも読み取れます。西侵の困難を知ったオオタラシヒコ王は、ここで南へ矛先を転じました。
Yamato
◆シナリオ3「南九州-大迂回作戦」
ナラ軍は、「日田防衛線」への強攻を避け、一転して襲国(ソの国=南九州)へ向かった。〈北九州連合〉と敵対する南方異族の取り込みを図ったのである。
▼オオタラシヒコは高屋宮〔西都〕に6年留まったとされています。日田を抜くのが難しいので、南方経略を進めたのです。対する〈連合〉も日田の防衛が手いっぱいで、ナラ軍の南下には干渉できなかったと思われます。
⑥⑦ナラ軍は、隼人族の協力を得て、九州西岸(葦北)へ達した。さらに水行して島原湾を北上する。
▼ここでオオタラシヒコは大胆な奇策に出ました。〈連合〉側の意表を突いた「大迂回作戦」です。〈連合〉と隼人族は敵なので、ナラ軍の襲国横断は、〈連合〉側には把握できなかったと思われます。
ナラ軍は玉名より肥後上陸。このあとオオタラシヒコが「阿蘇二柱の神」に会ったというのは、菊池〈ククチ〉族との接触を意味すると思われる。
▼この山岳地のククチ族こそ、『倭人伝』の「狗奴国」です。おそらく彼らは、縄文系の山民を基盤とした集団です。またいくらかの外来者(北九州経由の渡来民や南九州の隼人系)を抱え込んでいた可能性もあるでしょう。彼らも〈連合〉憎しの念から、オオタラシヒコに協力したと思われます。

◆シナリオ4「連合本土-全面降伏」
ナラ軍+異族軍は、南から〈連合〉本土へ押し寄せた。不測の事態に〈連合〉側ではパニックを起こしたろう。オオタラシヒコは、三池で「かつて杵島山(佐賀県)から阿蘇山まで隠した大神樹」の倒転したものを見る。〈連合〉崩壊の象徴か?
先にヤマト女王ナツシは投降しているから、このときナラ軍が標的としたのはミヌ国=吉野ヶ里である。ついに敵が藤山(久留米の南西)へ迫ったところで、ミヌ王・猿大海が出頭してきた。投降を条件に、本土劫略の中止を求めたのであろう。はたしてナラ軍はここで北上を停止した。〈連合〉が崩壊し、目的が達せられたからである。
ただし〈連合〉降伏の時、まだ日田守備隊は残っていた。本国を守ることができなかった彼らの無念が思いやられる。彼らの中にはおそらく死戦を叫ぶ者もいたであろう。だがナラ軍は、「抵抗すれば本土や人質が無事ではすまない」と威迫して、ついにこれをも投降させた。この地点が、日田の西・浮羽である。これにて九州征服は完了した。
▼景行紀⑧-⑪には戦闘の記録がなく、阿蘇二神・三池の神樹など「神話」ばかりが書かれています。『書紀』には「連合攻略」を隠蔽すべき政治的意図があったのです。
▼この大乱の終息後、女王ナツシはほどなく死んだものと推測します(始末されたのかも)。彼女は宇佐に葬られ、当地の地主神(ヒメ大神)として祀られた。彼女のものであろう石棺が、今も社殿前庭に埋まっていることは、今編①でも述べました。
▼北九州を鎮撫するため、勝者オオタラシヒコ側は、ナツシの後継者を擁立して体制内に組み込んだことでしょう。これがトヨ(orイヨ)であると考えます。さらにナツシ-トヨ後にも、「日の巫女」の神職は宇佐の地で引き継がれた。これが「生き身の宇佐神体」、神女・禰宜(ねぎ)だと推定します。

 …以上の仮説はどうでしょう? 地図と見比べてご覧ください。あまりにも完璧にハマってるとは思いませんか?
*なお地図の「黄」領域は北九州連合。「緑」はククチ族。「紫」はソの隼人族です。

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