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2006/10/24

図説-先史祖族の起源

前回では、先史期の東アジアに関係する主要6祖族の話をしました。この6祖族を分岐の古い順に並べると、以下のようです。
【古層集団】
▼アフリカから熱帯アジアへ東進した①オーストラロイド祖族
▼北方ステップを東進した②パレオ=アジア祖族
【後発集団】
▼スンダランド水没後に拡散した③オーストロネシア祖族
▼中北アジアから拡散した「原アルタイ」族。これは、東進した④ツングース祖族、中央~南方を占めた⑤モンゴル祖族、西進した⑥テュルク祖族-の3集団に分けられる。

 さて今回は、地図つきで、彼らの拡散史をたどってみます。

◆先史古層の南北移動路
 5万年前に「出アフリカ」した人々は、いわゆる未開的な狩猟採集民でした。彼らははじめ低緯度づたいに東進します。つまり、原郷アフリカと気候の似た熱帯アジア~オーストラリアへ広がったのです。これが①オーストラロイド祖族です。彼らは肉体特徴(見た目が黒人)も、狩猟採集生活も、アフリカふうのままでした。
 熱帯から同じ熱帯への「横滑り」は簡単だが、異なった気候帯への「乗り越え」はたいへんでした。生活スタイルを一変せねばならないからです。だが人類は、やがてこれをも克服し、熱帯アフリカからユーラシア内陸へ北進する集団が現れます。
 このユーラシア北散は、おそらく何波にも及んだようだが、これから結果的にシベリア~東アジアを住み占めた人々を、とりあえず②パレオ=アジア祖族として括ります。その同族はおそらくベリンジアを越えて北米にも入りました。彼らは熱帯を離れて「色抜け」し、漁労や海獣猟のスキルをも獲得します。新たな気候帯に適応した結果です。
Migration0
 大ざっぱに見るならば、この「古層」集団は、アジアへ南回り(熱帯ルート)と北回り(ステップ・ルート)で拡散したと言えるでしょう。ヒマラヤ山脈~チベット高原がつくる「障壁」が、①と②とを分断しました。
 ここで注意すべきことは、②パレオ=アジア祖族の前にも、アジア→ベリンジア→新大陸を通過していった集団は複数いたということです。つまり、アメリカ大陸先住民の多くは、パレオ=アジアとはまた異なった複数の系統から成っている、と考えます。
【*上図注-南回り分岐にアウストロ・アジア祖族を、北回り分岐にチベット族を、追加しておきます】

◆先史世界の「人口爆発」
 やがて先史世界には、ゆっくりとした「人口爆発」が起こりました。これは1万年以上かけて段階的に進行した現象です。その具体的なプロセスは以下のようです。

1.ヒプシサーマル高温期(1.3万年前)の人口増。
2.その後の急冷化による原集団の崩壊
3.離散適応による各集団の文明武装
4.BC8000>BC4000>BC2000…と段階的に進んだ高温化による人口増。

 この現象は広く「旧世界」で共時的に進行しました。これにより、スンダランド集団(③)や原アルタイ族(④⑤⑥)ばかりでなく、印欧祖族(アーリア族)やセム祖族らも勃興します。世界史の「主役」となる高度文明の担い手たちが現れたのです。
Migration3

 ③オーストロネシア祖族は、氷河期には温暖な「楽園」であったスンダランドに住んでいました。だがこれがヒプシサーマル期に水没したため、東南アジア~華南~太平洋に離散適応を遂げたのです。彼らは先住①オーストラロイド祖族の居住圏を避けるよう展開しました。
 いっぽうモンゴル高原~南シベリアでは、「原アルタイ族」が目覚ましい放散を遂げました。彼らは「極寒適応」したため、ずんぐりむっくり体型でのっぺり顔です。これは東方の④ツングース祖族、中央~南方の⑤モンゴル祖族、西方の⑥テュルク祖族と三分岐しました。
 このうち⑥テュルク祖族は、異系統の印欧祖族とごく早くから融け合って、混血集団となってゆきます。「馬と金属」の文明は、ここから起こってきたのです。

◆「馬と金属」の支配文明
 人類の歴史における「馬の文明」の重要性は、いくら強調してもしすぎることはないほどです。これは「支配の哲学」と「速度の世界」の発明であり、悪く言えば「人間の飼い慣らし」技術の決定打となったものです。
 印欧祖族は、馬立て「戦車」の力をもって、ユーラシア中~西部を席巻しました。ペルシア、ヨーロッパ、北インドを支配する戦士階層の出現です。
 さらに「馬の文明」はテュルク→モンゴルへも伝播しました。これからテュルク(トルコ)祖族は中央~西アジアに、モンゴル祖族は中央アジア~華北に、それぞれ覇権を築きます。
 さらにこれらの影響を受け、セム祖族は「馬とラクダ」の文明を構築して、アラビア一帯の支配者となりました。またツングース祖族は「馬とトナカイ」を飼い慣らし、これもシベリア~旧満州で強勢となったのです。

【追記!】-アーリア族の原郷を、通説の「南部ロシア・ステップ」でなく、「北シリア」に描き換えました。これは掘晄氏『古代インド文明の謎』に拠ったものです。同書によると、アーリア族の放散は通説(BC13世紀)よりずっと早い先史時代で、インダス文明じたいがアーリア族のものだという。これは「異端説」であるらしいが、とても説得力があるので、僕は考えを改めました。こういう本を読むと、自分がいかに不勉強か、思い知らされます。

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