先史北方の太陽女神-太陽神話考Ⅱ
太陽信仰を考える2回目です。今回はずうっと時間を遡り、〈先史北方文化〉における太陽像を見てみます。
◆〈先史北方文化〉とは?
僕は、人類史を考えるとき、〈先史北方文化〉はたいへん重要だと思っています。これは2~1万年前の北中部ユーラシア(東南ヨーロッパ~中央アジア~シベリア)で形成され、はるか北米(エスキモー~インディアン)にまで拡散を遂げたものです。
旧く東アジアに分布した〈パレオ・アジア文化〉や、先史後期にユーラシアを席巻した〈スキタイ=シベリア文化〉も、この範囲に括れると考えます。
この文化の特徴は、狩猟・漁労・採集や、季節移動と冬籠もり、シャーマニズム…などにあります。
◆〈生命の母〉という太陽像
そもそも北方世界というのは、暗くて寒いところです。そのためたいへん「日の光」が尊重され、ふつう「東」が聖なる方向と見立てられた。ここではしばしば太陽は、【生命を与える母霊】と見立てられました。
いっぽう月のイメージは、【死の国への誘惑者】と【女を孕ませる父霊】の両面を持ちました。これは矛盾じゃありません。それというのも北方文化じゃ、「死者の霊はまた女の胎に入って還ってくる」とされたからです。
それでは【太陽=母霊】の像を、具体的に見てみましょう。
▼①-シベリアの旧いテュルク文化じゃ、太陽は【金の編み毛を持つ母神ウマイ】とされました。彼女は世界樹のもとにいて、「これから生まれてくる魂たち」を養っているとされた。ツングース文化にも同系の女神がいて、ウミシ、オメなどと呼ばれます。(韓国語のオモニ、日本語のウムとも関係ありそう…)
▼②-【世界樹&母神】の組み合わせは、スキタイ文化にも図像遺物が残ってます。この図案はのち「樹下美人図」の名で中国・朝鮮にも見られました。北欧神話のユグトラジル樹と女神イドウンの関係も、これに類するものでしょう。

▼③-旧い中国神話には、【太陽の母神・義和】がいます。彼女もまた世界樹(扶桑)のもとにいて、子である「十の太陽たち」を世話している。天を巡ってきてくたびれた太陽をジャブジャブ洗って、扶桑の枝にかけて干し、蘇らせる-というのです。
◆太陽は姉/月は弟
また北方世界では、【太陽は姉/月は弟】ってモチーフも普通でした。これもいろいろに派生したが、例を挙げてゆきましょう。
▼④-シベリアのツングース系ナナイ族には、次のような神話があります。
「父は月で、母は太陽だった。二人は年を取ったので、息子と娘に仕事を譲ることにした。息子も娘も太陽になりたがったが、けっきょく娘が太陽になり、息子は月になった」
▼⑤-北米大陸のエスキモーには、次の神話型が広く分布しています。
「弟が姉を犯した。姉は恥じ入って天へ逃げたが、弟もそれを追った。姉は太陽に、弟は月になった」
月のアバタは、このとき姉が怒って弟に「炭火」を投げつけた痕といいます。姉が投げたのは炭火ではなく、「切り取った自分の乳房」とする型もあります。
▼⑥-アイスランドの叙事詩『エッダ』は、古いゲルマン神話の痕跡を留めてるが、ここでは【太陽ソルと月マーニ】が姉・弟として登場します。ソルの名は、そのままラテン語にも残って「太陽」を意味します。
▼⑦-日本神話も【太陽アマテラスと月ツクヨミ】が姉・弟になってますね。これも明らかに「北方型」です。
アマテラスについては、なお別回でもうすこし突っ込みます。
[過去関連記事] ★図説・先史祖族の起源
★文明は北方世界で準備された
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