スサノオvsアマテラスの「誓い比べ」-書紀解論(七)
これまで何度も述べたよう、『書紀』神話のいくつかは、史実のダブレット変換によって構築された-と見なしえます。
いま扱っている部分との関連では、
A【神功東征】→a【天孫降臨】
B【景行vs神夏礒媛の密約】→b【スサノオvsアマテラスの誓約】
の二つのダブレットがとりわけて重要です。今回は、この関係を手がかりに、解読作業を続けます。
◆アマテラスの娘-宗像3女神とは?
神話bでは、スサノオとアマテラスが「誓い比べ」を行って、スサノオは5男子を、アマテラスは3女子を生んだ-とされています。この場面は、前述したよう、史実におけるオオタラシヒコ大王(景行)とナツシ女王(神夏礒媛)の交渉を反映したものと見なせます。
さてアマテラス側の3女子とは、いわゆる「宗像3女神」で、沖ノ島-大島-本土田島を結ぶ半島航路〈海北道中〉の守護神です。つまりこれは北九州祭祀のシンボルであり、同時にその「半島つながり」の性質を示すものです。
具体的な3女神の名は、『記紀』や社伝で大きく混乱しているが、うち「イチキシマヒメ」の名は抜きん出て強い印象を放っている。だが奇妙にも、その名は「島に斎く娘」=巫女の意味です。つまりこの名は、もとは神の名前ではなく、「神を祀る者」の呼び名です。
ここで想像するならば、北九州ヤマト側では、3女神を祀るために有力な王族巫女を差し当てていたのではないだろうか? その位職名が「イチキシマヒメ」であり、その巫女こそがトヨではなかったか…と僕は考える。
もしもそうとするならば、「アマテラス-3女神」の関係は、「ナツシ女王-その後継候補トヨ」の関係を指したものと見なせます。
ちなみに壱岐では月神が、対馬では日神が祀られていたといわれます。日神の巫女はむろんナツシ(ヒミコ)その人でしょう。
◆スサノオの息子たち-強烈なオシクマ王!
いっぽう「スサノオ側の5男子」とは、何でしょうか? 『書紀』によるならその5人とは-
①アマノオシホミミ(アマノオシホネ)、②アマツヒコネ、③イクツヒコネ、④アマノホヒ、⑤クマノオシホミ(クマノオシクマ)
これはおそらく、史実における「オオタラシヒコの有力王子」を反映したものと考えます。
その筆頭に名の挙がるのが、「天の嫡子」=①アマノオシホミミ。おそらく彼の史的「正体」は、オオタラシヒコ大王の第一王子、ワカタラシヒコであるでしょう。
ここで注目すべきは⑤です。その名クマノオシクマは、なんとAの「叛逆王子」オシクマ王とぴたり重なる!
神功&武内宿禰に対して徹底抗戦したオシクマ王の記憶は、よほど強烈だったと見えます。
オシクマ王は東国からも兵を動員したと『神功紀』には見えてます。おそらく彼の敗死後も、彼を支持した東国には、その記憶が長く伝えられたわけです。それが信州諏訪の土着神(縄文系の狩猟神)と習合され、a「タケミナカタの抗戦と敗北」伝承を発生したと考えます。
おそらくオシクマ王の「正体」は、『景行紀』で第三王子として記録されるオシノワケだと推断します。また彼と組んだという兄カゴサカ王は、第二王子イオキイリヒコであるでしょう。
◆アマノホヒは何者か?
以上によって、神話b【スサノオvsアマテラスの対決】は、史実B【オオタラシヒコvsナツシの王統交渉】の反映であることが、明らかにできたと考えます。
おそらくオオタラシヒコ-ナツシ間では、互いに「後継者」を提示しあい、王統に関する取り決めをしたのでしょう。
ただしまだ、分析すべき重要な人物が残っています。前回の「★天孫先遣の失敗」でも初めに名の挙がった④アマノホヒです。
神話と史実が完全に一致する必要はないだろうが、アマノホヒは「出雲臣の氏祖」といわれ、大きな問題を秘めています。
続きます。
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