神功惨敗!-書紀解論(十四)
今回は、トヨ(=神功)の東征戦に注目します。
◆東征戦の真実は?
まずは★前回の「表2」を見てください。【Re神功の東征】-【Le神武の東征】-【Le2吾田媛の乱】は、ダブレットであることが完全に明らかです。
ということは、この3版を突き合わせると、東征戦の「真実」復元ができるはずです。
たとえば【Le2】は、A吾田媛が難波から、B武埴安彦が山城から、二手に分かれて襲来した-と伝えている。この2将は、【Re】のA神功とB武内宿禰に対応しています。
すると、彼らの東征戦は、Aが宇佐→瀬戸内→難波上陸、Bが香椎→出雲→山城上陸と動いたものだと読み取れます。
すでに〈★解論・十〉でも述べたよう、このとき起こった動乱は、北九州/出雲/畿内の「3極戦争」だったはずです。北九州勢=Aトヨ(神功)+B武内宿禰は、それぞれ畿内・出雲を目指して、二路から進軍したわけです。
◆3極による〈継承戦争〉
それでは東征シナリオの復元です。①-⑤は既述したことなので、詳しくは当〈解論〉シリーズの過去記事を参照ください。
①3C半ば。畿内のオオタラシヒコ大王(景行)は、北九州のナツシ女王(神夏礒媛)を取り込んで、西日本の統一を実現した。このとき大王-女王間では、それぞれの後継者(ワカタラシヒコ-トヨ)を結婚させる「王統合体」の密約が交わされた。
②だがその後、大王は、遠征先の香椎で変死。重臣団の総意によって密殺された可能性が最も高い。重臣団は彼の死を厳重に隠蔽した。
③重臣団は、畿内の不穏を抑えるために、第一王子ワカタラシヒコを香椎から先に還した。だがワカラタシヒコは、途中の出雲で背命し、「王として自立」を宣言する。
④大王変死は公然となり、畿内では、第二王子イオキイリヒコ(カゴサカ王)と第三王子オシノワケ(オシクマ王)が武力決起に踏み切った。
⑤これに慌てた重臣団は、王子妃トヨとその幼子を担ぎ上げ、出雲・畿内の王子たちに対抗した。こうして「三つ巴」の継承戦争が幕を開けた…。
⑥とうとう北九州勢は、東征戦に討って出た。トヨ+重臣団の主力軍は瀬戸内→畿内へ進軍し、武内宿禰は別軍を率いて出雲を牽制した。
⑦畿内側では、吉備から東国まで手を回して、大兵力を糾合した。このときイオキイリヒコとオシノワケが内紛し、おそらくは、オシノワケが兄を追って主導権を掌握した。
⑧トヨは難波へ上陸したが、オシノワケの大軍に迎撃され、河内で惨敗。トヨは命からがら紀伊へ逃れ、山中に潜伏した。彼女が密かに「香具山の土」を入手させて呪術をしたのは、この時のことである。
⑨いっぽう武内宿禰は、このとき出雲でワカタラシヒコと対陣していた。「トヨ惨敗」が伝わると、両者は一転して密約し、手を結んだ(この点は後述)。
⑩武内宿禰と、出雲勢の武振熊は、ともに山城へ進んできてオシノワケに「帰順」を申し入れた。オシノワケは彼らを迎え、勝利を誇って祝宴した。
(*武振熊は、おそらくワカタラシヒコの息子)
⑪だが武内宿禰+武振熊は、とつぜん決起してオシノワケを騙し討った。油断していた畿内勢は崩壊し、オシノワケも殺された。
⑫武内宿禰は、生存していたトヨらを迎え、その子ホムダワケを新王とした。また武振熊の協力には、「出雲安泰」によって報いた。東へ逃れたイオキイリヒコも、条件交渉によって新王権に臣従した。
◆深刻だった「河内の惨敗」
以上のうち⑥-⑫が「継承戦争」にあたります。
ここで戦局を決定づけた第一の重大事は、⑧トヨの惨敗です。
畿内伝承【Le2】は、吾田媛(=トヨ)軍が大坂で大敗・全滅したといいます。改版史実【Re】でも、神功(=トヨ)は難波で進めず紀伊へ転進、そのとき何日も光のない「常闇」に遭ったという。さらに『古事記』は、このとき「神功は死んだ」と噂されたことを伝えています。
これら全てが示しているのは、「河内惨敗」の深刻さです。トヨは木っ端微塵に敗れて、生死さえも不明となった。おそらく畿内側の兵力は圧倒的だったのでしょう。その時点では、オシノワケの勝利は確実に見えたはずです。
続きます。
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/53596/17216705
この記事へのトラックバック一覧です: 神功惨敗!-書紀解論(十四):

コメント