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12/21/2007

崩れゆく「応神朝」-書紀解論(二十一)

崇神紀から応神朝を解読する」3回目です。今回は、

1)神の祟りによる「大乱不治」の実態とは?
2)憎まれ追放された「アマテラス祭祀」とは何だったか?
3)倭迹迹日百襲姫の「正体」は?

 -といった問題を解いてみましょう。

◆「応神朝」への畿内の反発
『書紀』は、崇神代の事件として、①民の過半が死失・④要人女性の変死・⑧王の早逝…らの災乱を記します。またこれら災乱の背景には、「アマテラス=王権」に対する「畿内神=在地豪族」の烈しい怒り・反発があるらしい。
 どう見ても、これらの記事は、額面通りに「初代王ミマキイリヒコ=崇神」の伝承であったとは思えません。
 すでに述べてきたように、本来これらは、「トヨ&ホムダワケの王権=応神朝」の伝承であったと考えます。
「応神朝」の成立が、しぜんなものでなかったことは、すでにさんざん述べてきました。
 この王権は、オオタラシヒコ大王(景行)死後の〈継承戦争〉から、トヨの東征とその惨敗→畿内オシノワケ王子(オシクマ王)の強勢→武内宿禰によるオシノワケ騙し討ち…といった曲折を経て、危うく成り立ったものでした。
 つまりは武内宿禰の脆略が、トヨ母子を王位に押し上げたわけであるが、畿内側から見るならば、これは不正なヨソ者王権であったわけです。新王朝に対する畿内側の反発が強烈であったのも、当然です。
 以前に〈★解論・十三〉で扱った【畿内伝承Le2】には、「トヨと武内宿禰は死ぬべきであった・オシノワケこそ勝つべきだった」という怨念と痛恨がにじんでいました。
 その怨念と反発が、新王朝に対する「大乱不治」を引き起こし、ついには応神朝をガタガタに崩壊させた…。
 これが、ここから解読できる、第一の結論です。

◆倭迹迹日百襲姫=トヨの末路
 また前回では、「倭迹迹日百襲姫」の名が虚構である(先行する倭迹速神浅茅原目妙姫の伝承から生み出された)ことを確認しました。それでは彼女の「正体」は誰だろうか?
 ここまで来れば、明らかでしょう。シャマン的資質を持ち、畿内側の怨念のなかで「変死」した王権側の要人女性-。その正体こそは、トヨ(神功)であったと考えます。箸墓古墳に眠るのは、おそらく彼女なのでしょう。

◆アマテラス祭祀とは何か?
 これも前回見たように、畿内神の烈しい怒りは、直接には「アマテラス祭祀の持ち込み」に向けられていたよう読み取れます。
 そこであらためて考えるに、「アマテラス祭祀」とは何だろうか?
 そもそもトヨの出身国である北九州では、【A-日神・月神】と【B-宗像の3女神】の双つのシンボルを祀っていました。Aは対馬-壱岐航路の、Bは沖ノ島-大島-本土田島航路の護神で、ともに「半島つながり」のシンボルです。
 僕は、すでに〈★解論・七〉で、Aの祭主こそ「日巫女」=女王ナツシであり、Bの祭主は「斎き島姫」=王女トヨであったろう…という推測を示しました。
 すると畿内入りしたトヨは、おそらくナツシの後継者として、「日巫女」祭祀を継いだであろう。さらに彼女は先代ナツシの「祖霊」をも、それに併せて祀ったはずだ。
 この「日巫女+女王祖霊」の結合祭祀こそが、すなわち「アマテラス祭祀」だったのではないでしょうか?
 そうとするなら、これこそヨソ者王権のシンボルとして、畿内側の憎しみの的になったことも理解できます。
 かくも憎まれたアマテラス祭祀が、天皇権と結合されたのは、なんとこれより4世紀ものち、「天武朝」のことでした。畿内に持ち込まれた当初においては、アマテラスは、忌まれ追われる「他神」でしかなかったのです。

◆「民の過半が死失」とは?
 最後に再び①「民の過半が死失」という災乱の実態を考えます。
 崇神紀はこの理由を、「疫病・百姓の流離・反逆」と三つ挙げる。このうち僕が重視するのは「流離」です。
 結論から書けば、「ヨソ者」応神政権を憎み嫌った畿内人たちは、相当数が生き残った「畿内王子」イオキイリヒコとともに、東国へ逃散したのだと考えます。いわば大量亡命です。
 イオキイリヒコ=ヒコサシマの一党は、これら亡命勢力を組織しながら、まだ「未開」であった東国を開拓して、大勢力となったのでしょう。
 このことは、のちの「仁徳クーデター」を考えるときの、重要な伏線です。

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コメント

ヒマラヤに住む舞踏家リゾームLeeと申します。
いつも楽しみに読ませていただいています。
昨日はクリスマスにちなんで、私のサイトに弓木さんの「クリスマス起源論」を少し引用させていただきました。
そのうち、日本書記論にも言及したいと思っています。
私も昔記紀を読み込んだ時期があります。入り込んだらなかなか出てこれない世界ですよね。

ではまた

投稿 リゾームLee | 12/25/2007 02:51 午後

リゾームLeeさま、初めまして。
ご訪問いただきありがとうございます。
「ヒマラヤで舞踏家」というのはすごいですね! 憧れてしまいます。

僕がひそかに深く頼りにしてるカスタネダの「呪術師ドン・ファン」シリーズには、『呪術の実践』という巻があって、そこでは体のエネルギーをコントロールするための舞踏法が詳しく説かれていました。僕にはダンスの才能が全くないので、とても実践できないのですが…。

『書紀』はほんとになかなか足が抜けなくて困ってます。またよろしくお願いします。

投稿 弓木 | 12/25/2007 10:26 午後

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