『崇神紀』から応神伝承を解読する-書紀解論(十九)
しばらく話が脱線しました…。
「応神朝」の復元に戻ります。
◆【応神-ホノニニギ-崇神】の同一性
新王ホムダワケ(応神)の擁立は、武内宿禰の脆計・辣腕によって、かろうじて実現されたものでした。
この王権は脆弱で、畿内豪族・出雲勢(ワカタラシヒコ-武振熊)・東国勢(イオキイリヒコ)らをなんとか妥協させた「連立政権」に過ぎなかった…。
これが〈★解論・十六〉までに復元したことです。
ではこの王権の「その後」はどうであったのか…?
再び〈★解論・十二〉の「表1」を見てください。【R応神-Mホノニニギ-L崇神】の構造対応は明らかだと考えます。
すると【Pgホムダワケ王代記】は、【Lg崇神紀】から探り出すことができるはずです。
◆『崇神紀』の7大記事
では崇神紀に注目します。ここには核となる記事が7つあります。
①大国魂・大物主の祟りによる「大乱不治」。
②「四道将軍」の任命・派遣。
③吾田媛&武埴安彦による「大叛乱」。
④ヤマトトヒモモソヒメが大物主の祟りで「変死」。
⑤天下泰平により、崇神は「ハツクニシラス~」と美称された。
⑥王2子のうち、兄トヨキは「東国分治」に左遷され、弟イクメは「王位」を約束された。
⑦出雲神宝(鏡)を没収し、抵抗した出雲振根を殺害した。
こう並べると、突っ込みどころが山ほどあります。
たとえば①は、「疫病・流離・叛乱によって民の過半が失われた」といっている。この王代が⑤「天下泰平」を謳われたのは妙なことです。ここには明らかに矛盾がある。
また⑥は、〈王の難題→弟の相続〉という筋であるが、この話型は崇神紀のほか、垂仁紀・景行紀・応神紀でも繰り返される。いわば「4重ダブレット」です。「表3」をクリック拡大して見てください。
実はこの〈王の難題→弟の相続〉という基本型は、ユーラシア全域に広く分布していることが知られています。聖書の「兄エサウと弟ヤコブ」伝説もそうであるし、ロシアの『アファナーシェフ民話集』にもいくつもある。そこでこのモチーフは、先史期の古層文化に根を持つ「古神話」と考えられます。
ただし4話をよく見ると、垂仁紀・景行紀のものは崇神紀からの分岐型と考えられ、その崇神紀では〈兄の東国分治〉という独自の要素を持っている。
そこで〈兄の東国分治〉は、何かしら「特定の史実」であり、それが「古神話」に混ぜられている-と分析できます。
さらに⑦「出雲神宝の没収」は、垂仁紀にも類話があり(十千根大連に出雲神宝を入手させた)、ダブレットだと考えられます。
これらの矛盾と重複に、どう説明をつければよいでしょうか?
◆7大記事を整理する
では崇神紀の全体像をまとめましょう。いちいち論証するスペースがないので、結論から書けば、以下のようです。
A)崇神紀は、【⑤ナラで初王となったミマキイリヒコ伝説】の枠組みに、【応神朝伝承】をハメ込み合成してつくられた。
B)②「中央より各地へ鎮将を派遣した」は虚構で、「各地の勢力を妥協させ連立した」というのが実態。また⑥には、東国分治とされたイオキイリヒコ=ヒコサシマ一党の記憶が混入している。
C)③は、ほんらい「トヨ&武内宿禰」の襲来を伝える【畿内側の伝承】であり、このことは〈★解論・十三〉で解説ずみ。ここにはトヨたちに対する畿内側の根深い怨念がにじんでいる。
D)⑦はもっとも解釈が難しい。3神器のうち〈八坂瓊の勾玉〉がいったん出雲に預けられたらしいことは既述したが(→★十五)、あるいは〈鏡〉も預けられ、それのみこのとき没収されたか? ただし同じく垂仁紀にある「但馬神宝の接収」記事とも関連が考えられ、いまこの解釈は保留しておく。
こう見ると、応神朝の内幕は、①大乱不治と④要人女性の変死、②連立、⑥東国勢の分治、⑦出雲勢とのせめぎ合い…といった輪郭でまとめることができそうです。
とりわけて重要なのは、①と④です。次回はここに焦点を合わせましょう。
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