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12/05/2007

応神朝と「東国の脅威」-書紀解論(十六)

 オオタラシヒコ大王(景行)死後の〈継承戦争〉に焦点を合わせた4回目です。

◆不安定な「連立政権」
 オシノワケ(オシクマ王)に河内決戦で惨敗して、一時は「死んだ」とまで噂されたトヨ(神功)。彼女は紀伊山中へ逃げ込み、どうにか生存していました。このとき彼女は密偵を出し、「香具山の土」を入手させて畿内調伏の呪法をしています(→★〈解論・十三〉)。
 窮地の彼女を救ったのは、武内宿禰でした。彼は出雲勢とともにオシノワケを陥れて、逆転勝利を得たのです。
 かくて武内宿禰は、畿内を制し、「トヨの幼子」を王位に就けて、ホムダワケ(応神)王権を樹立しました。
 だがこの政権は、いくつも「負い目」をしょっていた…。トヨの出自(敗戦国である北九州ヤマトの出身)、武威の欠如(河内でオシノワケに惨敗した)、出雲勢への借り(武振熊の手を借りた)、畿内側の怨念(とうぜんトヨは憎まれた)-などなどです。
 早い話、この政権は、きわめて脆弱だったわけです。
 応神朝は、畿内豪族-出雲勢(ワカタラシヒコ・武振熊)-東国勢(イオキイリヒコ)の危うい妥協の上に存立した「連立野合政権」であったと考えます。

◆イオキイリヒコの行方
 ここで話題をイオキイリヒコに転じましょう。
 イオキイリヒコ(カゴサカ王)については、前回、弟オシノワケ(オシクマ王)によって蹴落とされたところまで解説しました。
『書紀』は「カゴサカ王の変死」をいうが、僕は、彼が死んだとは思いません。東国へ逃れて勢力を温存した…と推定します。これについて、解説しましょう。
 まずは〈★解論・七〉を見てください。ここでは「オオタラシヒコの有力王子」が、神話「スサノオ5子」に反映していることを述べています。
 このうち①アマノオシホミミ=④アマノホヒは同一人物で、その正体が、長兄ワカタラシヒコであることは論証ずみです。(→★〈解論・十〉
 また⑤クマノオシホミ(クマノオシクマ)の正体が、三弟オシノワケ(オシクマ王)であることも明らかです。
 残るは、これも同一人物とおぼしき②アマツヒコネ=③イツクヒコネだが、おそらくこれこそ次弟イオキイリヒコであるでしょう。
 ところで③は「彦根」に祀られており、これが当地名の起源だとされています。また②は「桑名」多度大社の祭神で、茨城国造・大和国造らの祖ともいう。彦根も桑名も、東国への起点であることが注目されます。
 さらに重要なのは、後のオオサザキ王(仁徳)が、「イオキイリヒコの孫」と記録されていることです[仁徳紀]。これはイオキイリヒコ一党が存続して、のち王権を奪い取ったことを意味している、と考えます。

◆東国「都督」のヒコサシマとは?
 ここで『景行紀』の「ヒコサシマ王-ミモロワケ王」記事に注意します。それは以下のようなものです。

【ヒコサシマ王】-景行により東国「都督」に任じられたが、病死し、大和国春日に葬られた。のち東国人が死体を盗み、上野国に移葬した。
【ミモロワケ王】-ヒコサシマの子。父の死後に東国を治めた。「その子孫は今も東国にいる」と書かれる。

 奇妙で、無視されがちではあるが、これはなかなか大事な記事です。つまるところここからは、
●ヒコサシマ一族は、古くから東国に勢力を拡大して、今(『書紀』制作の7-8C)に至るまでその痕跡を留めている。
●ヒコサシマの陵墓は、上野国・大和国春日の二ヶ所にある。
 -という2点が読み取れます。
 そこで僕は、ヒコサシマ=イオキイリヒコであろうと推定する。たとえば考え得るシナリオは、以下のようです。

イオキイリヒコは、難波で弟オシノワケに排除され、彦根へ逃れて勢力を立て直した。
オシノワケの敗亡後、「応神朝」が成立したが、この政権にはイオキイリヒコを攻め潰す力はなかった。そこで条件交渉が行われ、イオキイリヒコは「臣従」の引き替えに「東国支配」を認められた。
イオキイリヒコ一党は、上野国(群馬県)に東遷した。このとき新王権を嫌った畿内の「亡命者」も多く従ったことであろう。彼らは東国の豪族をなつけて勢力を拡大した。イオキイリヒコは没して上野に葬られた。
ホムダワケ(応神)の死後、この一党は武力クーデターを決行し、王権を奪ってオオサザキ(仁徳)が即位した。彼によって「祖父」イオキイリヒコの死体は春日へ改葬された。

 ④の「仁徳クーデター」については、また後段で検証します。


[参考]-ちなみに東北の大豪族「安倍氏・安東氏」に、次のような出自伝承があることも注目されてよいでしょう。
1)彼らの祖先はナラの生駒に在し、物部氏と縁戚だった。
2)九州からの東征軍に敗れ、弟ナガスネヒコは殺された。兄アビヒコ(安日彦)は東国へ逃れて、安倍・安東らの氏祖となった。
 この伝承の「兄・弟」は、イオキイリヒコ・オシノワケにぴたりと整合します。

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コメント

弓木さん、ご無沙汰しています。
わたしは日本書記も古事記も最後まで通読さえしたことがありませんが、非常に斬新な手法を使ってらっしゃるのだなと感心していましたら、今回はそれが「聖書学」で成果を上げた手法だということが明らかにされて、ますます感心致しました。聖書と日本神話の世界が同じ手法で解剖されるなんて、とてもエキサイティングじゃありませんか。R.E.フリードマン『旧約聖書を推理する』、是非読んでおこうと思います。
構造主義的比較神話学?というのでしょうか、大昔に北沢方邦という人の本を読んだことがありますが、日本史に通暁していらっしゃる弓木さんがメスをいったん振るえば、古代の作者の作話意図まで炙り出されてきてこの手法の強力さを見せ付けられますね。
聖書といえば、非信徒のための聖書学もとても面白かったです。
イエスの実像を、悲惨な現世にあっても決して明るさというか楽天性を失わない特性を持つ人ではないかと推されていますが、TAO的真人ともタロット大アルカナ0番地の「愚者」にも通ずる元型としても捉えることが出来そうですね。決してマジシャンなんてものではないのですよね(笑
それから、ひとこと欄も拝見しています。
「ミルチノビッチがいい」なんてのもそのうち解説していただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

投稿 坐忘 | 12/08/2007 10:35 午後

坐忘さん、いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。

『旧約聖書』の主要部は、ほんらい【J・E・D・P】の4書を合成したものと見られています。4書は文体も傾向も鮮やかに違っているので、よくよく見れば「分解」が可能なのです。このとき重複異版(ダブレット)どうしを比較して、4書それぞれの究明がなされています。フリードマン氏の著作はこのことの解説です。

いっぽう『書紀』の成り立ちは違っていて、おそらくは、一つの【原伝承】を3度(あるいはそれ以上)重複させてつくられている-と僕は見ます。「東征」とか「敵の兄弟」とか、同じ話型が何度も登場するからです。おそらく同じ伝承に関する異版を、重複利用したのだと思います。

「非信徒の聖書学」は、まだ旧約篇を残しているので、僕の好きなエレミヤとか、フリードマン説についても書きたいと思っています。

ミルチノビッチは…いま「空いてる」監督としては、ベストだったと思います。世界屈指の実績者だし、オシムとも近いし。岡田さんは、また守備的にやるんじゃないかと…。

投稿 弓木 | 12/09/2007 12:28 午前

弓木さん、レス有難うございます。
まずコメントをつける記事を手違いから一回前の記事につけてしまって失礼を致しました。
書紀解論(十七)につけるつもりでした。
で、混乱するといけないのでこの記事にいま少し続けさせていただきますね(汗

旧約と書記の成り立ちの違いをご解説いただきまして有難うございました。
四福音書の差異のご解説でもそうでしたが、いつも非常に明確ですね。そしてとても魅力的。
上でも述べましたが、作者の意図がまるでそこにあるかのように見えてくるのは毎度凄いなぁと思います。
書記に適用された手法も本邦初公開でしょうからオリジナルで貴重な「業績」となりますね。
今後もワクテカしながら拝読させていただきますので、よろしくお願いします。

さて、サッカーはとくに詳しくないのですが、日本のサッカーはまだお雇い外人に監督させなきゃならない状況が続いているのでしょうか。
日清日露のように、闘う主体のリーダーはあくまで自国人で、外人はコーチ止まりでアドバイスを受けながらやる、ということはできないのでしょうか。
試行錯誤しながら自国独自の監督学を育てていくのも、ひとつの道だとは思いますがね。
星野野球のようにはなかなかいかないのでしょうけど。

あと、関西では「シンボルず」はやってないようです。

投稿 坐忘 | 12/09/2007 01:39 午前

ありがとうございます。ただ、僕はあまり持ち上げられるのも苦手なので…。

代表監督については、「サッカーの母国」イングランドでさえ外国人監督を招こうかというご時世です。誰が勝てる監督なのか?ということだけが問題で、今さら「国産」にこだわる時代ではないと思いますが…。
それに岡田監督は、例の「カズ&北沢はずし」のこともあり、マリノス時代の「堅守だがおもしろみのない」戦術も見ているので、どうも好きになれません。

投稿 弓木 | 12/09/2007 08:46 午後

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