『日本書紀』の制作秘密-書紀解論(二十七)
前回は、2C後半に北九州・畿内の2王統が覇権を争い、その史実が口承叙事詩=【原伝承P】として伝えられた…と書きました。
今回は、それがいかに『書紀』前半の神話・歴史へ変換されたかを、考えます。
◆『書紀』制作の背景は?
【原伝承P】の舞台から4世紀後、すなわち天武・持統代、『書紀』制作が始まりました。
この制作の第一目的は、「壬申の乱=天武のクーデター」の正当化であったはずです。
天武(オオアマノミコ)は、『書紀』では「大皇弟」と呼ばれながら、天智(中大兄)より「年上」であったと伝わり、その出自には謎があります。天武が先王(大友王子・天智の子)を殺害・斬首していることや、「天武の子」+「天智の子」の婚姻が執拗に繰り返されていることも、謎を深める事実です。二人がほんとうに兄弟だったら、この近親婚はリクツが立たない。
ここでは天武の謎にまで立ち入らないけど、先王を殺して政権を奪取した彼にとって、「王権正統の主張」がぜひに必要であったことは、頭に入れておくべきことです。
◆【原伝承P】はいかに改変されたか?
もう前回に述べたよう、【原伝承P】は、「2王統の相克」を主題とする叙事詩であったと考えられます。
だが『書紀』制作にあたった藤原不比等らは、「王統の一系性」を主張しようとしたために、とうぜん【原伝承P】の中身は、書き換えられねばならなかった。
また【原伝承P】の後には、長い「歴史の空白」があったことも問題でした。古代には文字記録がほとんどなく、そのため多くの王たちが忘れられた…と推測します。
整理すると、不比等らの前には、『書紀』の組み立て材料として、次のようなものしかなかったわけだ。
①建国の叙事詩=【原伝承P】。
②さまざまに語り伝えられた「古神話」の一群。
③すでに存在した中国史書(魏志・晋書・宋書など)や朝鮮史書(百済三書・新羅古記など)の倭国・日本国関連記事。
④雄略以後の王名表。
⑤欽明以後の王朝記録(とくに孝徳代から詳しくなる)。
⑥古墳や古社にまつわる記憶・伝承。
⑦本来どこの時代に属したかわからない「古い歌謡」。
ここで不比等らは、空白を埋めるために、おそらく『新羅古記』を参考にしました。『新羅古記』は、ほんらい「朴・昔・金」の3王家が同時並立していたのを、「朴→昔→金」という連続3時代に替えたのです。いわばヨコ並びをタテに積み上げ、時代の引き伸ばしをやったわけだ。
不比等らも、まず【原伝承P】から3つの異版を作出して、それをタテに連ねたわけです。これが【神話M/上古伝L/改版史実R】の3重複構造です。
(→★十二の「構造対応表」を参照)
◆不比等の作為を解析する
さらに不比等は、大まかに、以下のような操作・改編を施したと考えます。
1)畿内から出て、西日本を統合し、ついには横死を遂げたオオタラシヒコ大王(景行)。彼には豊かな伝承が残っていた。そこから一部を切り取って、「征服英雄」ヤマトタケル像と「横死した王」仲哀像が分離された。
2)ヒミコ(神夏礒媛)やトヨ(神功)らの「北九州王家」の存在は、「王統一系」の主張のためにはまずいので、あれこれさんざん操作して、彼女らの正体をわからなくしてしまった。
3)「トヨの東征→神武東征」・「応神代の大乱→崇神代の大乱」といった具合に、【原伝承P】の諸事件を、より前代の事件として書き換え移植した。
4)二大古墳の「主」が誰かは、もうよくわからなくなっていたが、【原伝承P】で有名な応神・仁徳に振り当てた。(仁徳はアタリかもしれないが、応神はかなり怪しい)
5)その後には、中国史書との対応で、「倭の五王=履中・反正・允恭・安康・雄略」がハメ込まれた。実際には、仁徳~五王の間には相当の開き(僕の推算では約百年)があり、ここには「忘れられた王」が何人もいたであろう。
6)五王~欽明の間も、おそらく王名だけが伝わり、伝承記憶はスカスカだった。不比等はここに、歌謡(たとえば允恭や武烈の恋歌)だの古神話(たとえば顕宗&仁賢の貴子流離譚)だのを詰め込んで、何とか「空白」を埋め隠した。
7)さらに五王以降のパートが、なぜか半島記事だけ詳しいのは、朝鮮史書に依拠した部分が大きいせいだと考えられる。実際たとえば[欽明紀]を読んでいると、欽明よりも、百済聖明王・余昌王子のほうが活躍している。これは顕著な特徴である。
8)孝徳代は一つの画期で、ここから日本の国内記録が詳しくなる。孝徳は多くの改革を成した王で(ただし中途で挫折した)、「大化の改新」のほんとうの主役だった。
ここまで僕が述べた仮説は、『風土記』を援用することで、さらに補強が可能です。そこで次回から『風土記』へ分析を移しましょう。
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