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01/23/2008

『風土記』伝説量の偏りは何を意味する?-書紀解論(三十)

『風土記』から諸国の伝説をざっと見ると、それらに関連づけられた王名には、たいへん偏りがあることに気づかされます。
 ここでは、前回で算出したデータをもとに、その全貌をつかんでみます。

◆「王の伝承」はⅡ期に集中!
 まずは表12をクリック拡大して見てください。前回データの総計を、神武~孝謙までの46王代に書き込んだものです。「王なみ」の5人(ヤマトヒメ・ヤマトタケル・神功・ウジノワキイラツコ・聖徳)もあわせて、全部で51名義、281項目を数えました。
(*倭姫と倭迹迹姫はともに「ヤマトヒメ」に合算した。その原像が同一と推定したため)
 便宜のために、全体をⅠ~Ⅶ期に区分しました。

Grp12_2

 これは全く面白い! 「王の伝承」の極端な偏りが、これで一目瞭然でしょう。
 それはⅡ期に集中しており、このパートだけで181項目(全体の64%!)を数えます。とりわけ景行(58)・応神(51)・神功(30)・ヤマトタケル(22)は突出しており、この4人だけで過半数(57%)です。
 これより以前が少ないのは「昔のことだから…」とも言えそうだが、しかし後の時代も少ないのは、一体どうしたわけなのか?

◆Ⅰ・Ⅲ・Ⅳ期-「空白」目立つ
 Ⅰ期を見ると、『書紀』で無内容の「欠史八代」が、こちら『風土記』においてもほぼ無視されていることが目を引きます。この期で有意な存在は、神武・崇神・垂仁・ヤマトヒメの4人のみです。
 Ⅲ期の5人は、僕の見立てじゃ、中国史書に記された「倭の五王」に相当します。ここは雄略が2件あるだけ。「伝承を遺した」という点からは、壊滅です。
 Ⅳ期も少なく、ことに前半4人は全滅のありさまです。

◆Ⅴ・Ⅵ・Ⅶ期-画期となる4人の王
 Ⅴ期には、推古・聖徳ら有名人がいるけれど、総数14でやはり少ない。その2人よりまだ欽明(7)が目立っています。
 Ⅵ期では、孝徳(14)が5位と大健闘、天智(7)の倍を数えます。遠山美都男氏も説いているよう、「大化の改新」の真の主役は孝徳なのです。『風土記』における伝説量は、この事実を正直に反映している。
 Ⅶ期天武(12)の独り勝ち。天武は「壬申の乱」クーデターの主役であり、国史『記・紀』の企画者でもあったから、多いのは当然です。ただし見方を変えるなら、その天武でも6位どまりだ。景行・応神らとは比べものになりません。

 Ⅴ・Ⅵ・Ⅶ期を通覧すると、欽明・孝徳・天智・天武と、政治史で「節目」となった王たちに伝説量が多いのがわかります。納得ゆく結果ですね。
 しかし「Ⅱ期の王たち」が、伝説量において彼らをはるか凌駕するのは、一体どうしたわけなのか? 既存の古代史学では、これは解けないミステリーではないでしょうか?
 この疑問に、次回でいったん結論を出してみましょう。

【追記】
 棒グラフも作ってみました。「Ⅱ期の伝承」の厚みがいっそう鮮やかにわかるでしょう。適当なソフトがなく、手作業で作成したので、やや不揃いで見づらいのはご容赦を。
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