仁徳のクーデター-書紀解論(二十五)
なんとシリーズ25回目。今回は「仁徳クーデター」の解説です。
◆オオサザキの政権奪取
すでに〈★十六・応神朝と東国の脅威〉で、「不安定な応神政権」と「東国に遷って雌伏したイオキイリヒコ一党」の対照を見てきました。
また応神朝が大乱不治に陥って、ついには崩壊したさまも、〈★二十一・崩れゆく応神朝〉で見てきました。
ではその崩壊時に何があったか? ここで表9をクリック拡大して見てください。【Rh-Lh】重複部の対応です。
またもや両部の構造はぴたりと一致しました。【Lh-綏靖即位】が、【Rh-仁徳即位】の書き替えであることは明らかです。
仁徳=オオサザキは「イオキイリヒコの孫」というので、彼の即位までに何があったか、推理するのは容易です。つまりそれは、
①政権側の有力王子は、オオサザキらに謀殺された。
②政権側の幼王は「自殺」した。
③邪魔な2人を片付けたのち、オオサザキが即位した。
-というシナリオです。
このとき「自殺」した幼王とは、ウジノワキイラツコ(=宇治の若君)です。彼を「宇治天皇」と[播磨国風土記]は呼び、「桐原の日桁の宮」に宮居した-と[山城国風土記逸文]は伝えている。この両記事は、[仁徳紀]の公式記事とは異なって、ウジノワキイラツコが王位に就いていたことを証拠だてます。
すなわちウジノワキイラツコは、のち壬申の乱(天武のクーデター)で殺され斬首された「大友王子=弘文天皇」同様に、『書紀』から抹殺された王なのです。
◆クーデター関連記事
また以上に関連して、次の記事も重要です。
④ホムツワケ(応神=ホムダワケの分身)が「もの言えぬ王子」であった期間は、30年[垂仁紀]。
⑤日向泉長媛は、応神妃として2子を産んだ[応神紀]。
⑥日向髪長媛は「美人」と名高く、応神の妃として迎えられた。だがオオサザキ王子(仁徳)が彼女を欲しがり、ついに自分の妃に収めた[応神紀]。
⑦仁徳代に、山陰5国(出雲・伯耆・因幡・但馬・隠岐)の国造が一斉逮捕され、播磨で囚役させられた[播磨国風土記]。
④は「応神朝」の存続期がほぼ30年であったことを暗示している-と考えます。すると、「トヨの遣晋使」が266年であったから、「仁徳クーデター」は290年-300年あたりと推定できます。
⑤⑥は、つなぎ合わせれば、クーデターをやってのけたオオサザキが、「先王の妃」を奪ったことを示している-と考えます。
⑦は人事粛清です。前政権を打倒した東国勢のオオサザキにとって、競合する出雲勢=和珥氏系は「脅威」であり、思い切った弾圧処置が採られたのです。
◆仁徳と武内宿禰の関係は?
さらに奇怪なのは次の記事です。
⑧「応神の子」が生まれた時、産殿にミミズクが飛び込んだ。同日「武内宿禰の子」も生まれ、産屋にミソサザイが飛び込んだ。これを奇瑞として、二子の「交換名づけ」が行われ、「応神の子=オオサザキ」・「武内宿禰の子=ツクノスクネ」と命名された[仁徳紀]。
⑧は「鳥霊信仰+名前の交換」のセット説話で、〈★二十二・応神の出自疑惑〉で扱ったホムツワケ=ホムダワケの重複ミステリーにそっくりです。これは何を意味しているか?
だいたい武内宿禰こそは、応神朝の中枢人物であったはずで、クーデターをやってのけたオオサザキと親しい関係が語られるのは、スジに合わない。これはまったく奇怪な記事です。
だがこの疑問は、その前にある⑨記事を見ることで、氷解するように思われます。
⑨武内宿禰が九州に出ているとき、その弟・甘美内宿禰(ウマシウチノスクネ)が訴えた。「武内宿禰は、九州と三韓をあわせて謀反を企んでいる」と。そこで武内宿禰に討ち手が向けられたが、彼はかろうじて死地を逃れ、朝廷に出頭して弁明した。是非が決めがたかったので、両者に神裁(クガタチ)が課せられた。その結果、武内宿禰が勝ち、甘美内宿禰は失脚した[応神紀]。
⑨記事は、応神朝がグチャグチャに崩れてゆくなか、武内宿禰までが失脚しかけていたことを教えてくれます。これから推察するならば、「仮想シナリオ」は、こうなります。
1)応神朝が壊れてゆくなか、身内どうしの争いで、武内宿禰さえも立場が危険となった。彼は北九州+半島系勢力の援護により、かろうじて死地を脱した。
2)武内宿禰は、もはや混迷の政権に見切りをつけ、密かに強力な東国勢と通謀した。そして応神の死没直後に、「クーデター」に内応して、東国からオオサザキを迎え入れ、有力王子(オオヤマモリ)と幼王(ウジノワキイラツコ)を破滅させた。かくて彼は「新王・仁徳のゴッドファーザー」として地位を維持した。
なんか★『政治をするサル』の老イェルーンを思い出すが…。人でもサルでも、政治というのは、こんなものかもしれません。
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