応神朝の渡来者たちⅠ-書紀解論(三十六)
今回は、応神朝の「渡来者たち」の強力な残像を追ってみます。
◆「応神朝」は渡来者だらけ
まずは表16を見てください。『古事記』また『書紀』が伝える応神朝がらみの渡来者たちです。神話上の太祖から、王族・豪族・学師・織女・工匠まで、いっぱいいることがわかるでしょう。

このうち③~⑪は『書紀・応神紀』に記事があり、史的な渡来記録です。
だが、①「姫神アカルヒメ&加羅王子ツヌガノアラシト」・②「新羅王子アマノヒボコ」はそれとは違っています。彼らは神話の存在であり、その記録は『垂仁紀』に入っている。
ところが『古事記』はそうではなく、①②とも『応神記』に記録します。垂仁代と応神代-これはどちらが正しいか?
結論から言えば、①②は神話なのでじかに史実とは見なせないが、その神話はほんらい応神朝に結びつけられていた-と推断します。つまり『古事記』の方が正しい。
すでに僕は、『書紀』の「崇神・垂仁」記事は、応神朝伝承の繰り込みによって構成されていることを、論証してきました。
(*参照→〈★十二・『書紀』構造はこんなにも重複している〉また〈★十九・崇神紀から応神朝伝承を解読する〉)
『書紀』と『古事記』じゃ、おおむね『書紀』の方が原型に近いのだが、ときどき逆の場合があります。この部分はその一例です。
◆典型的な「朝鮮神話」
ではまず①「αアカルヒメ+βツヌガノアラシト」の神話ペアに注目しましょう。『書紀』は彼らについていう。
●加羅王子ツヌガノアラシトは、「黄牛」を失った代償に「石神」を手に入れた。するとその石が「美女」に変わった。彼が迫ると、美女は逃げ出して海を渡った。彼女は日本の難波また豊前国東へ至って、両所で「ヒメコソ神」として祀られた。ツヌガノアラシトも彼女を追って来日した…。
いっぽう『古事記』では、やや経緯が違っています。
●沼辺で昼寝していたある女が、日の光を女陰に受け、それから身籠もって「赤玉」を産んだ。その玉はツヌガノアラシトの手に入った。すると赤玉は「美少女アカルヒメ」となり、ツヌガノアラシトの妻になった。彼女はのち日本へ逃げ、ツヌガノアラシトも追って来日した…。
『古事記』が記す上の話は、〈日光感精神話〉と呼ばれるもの。これが朝鮮半島の典型的な王祖神話であることは、有名です。
高句麗(東明王)・新羅(赫居世)・伽耶金官国(首露王)は、みなこの型の伝承(日光→玉・卵から誕生)を持っています。
もちろん①は「渡来の姫神と王子」と明記されているのだから、朝鮮系の神話を持っていても、とくに不思議はないわけだ。
だが実は、①にまつわる伝承は、たいへん大きな問題を秘めています…。
もう長くなったので、続きは次回で。
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