« 「ヤマトタケル伝説」を解体するⅠ-書紀解論(三十四) | トップページ | 応神朝の渡来者たちⅠ-書紀解論(三十六) »

02/06/2008

「ヤマトタケル伝説」を解体するⅡ-書紀解論(三十五)

 前回の続きで、表15を用いて、ヤマトタケル伝説の③-⑫段を解析します。
『Ny-書紀』と『Ky-古事記』を対照しながら、「S-素材」を明らかにする作業です。

◆③-⑫の材料たち
【③出雲健】
 これは『書紀』に対応がなく、『古事記』のみが記します(Ky③)。この材料もはっきりしている。崇神紀にある次の記事です。

S③出雲振根の留守中に、弟・入根神器(鏡)を朝廷へ引き渡した。怒った振根は、弟を水浴に誘い出し、弟の剣を木刀と入れ替えて、斬殺した。朝廷は罰として振根を殺した。

 見ればわかるよう、Ky③はこれのまるごと流用です。
 なおS③の背景には、
「ワカタラシヒコ系=出雲臣氏が2神器を預かる(鏡・玉)→仁徳政権が鏡を没収・出雲弾圧→のち持統政権が玉も没収
 …という史実が想定され、傍証は『書紀』や『風土記』の各所にあります(参照→★十五-オシクマ王の悲劇)。

【④再出征】
 この段については、前回にオオウス絡みで触れています。
 なおNy④のヤマトタケルは、父の東征命令を「雄々しく」承命しているが、Ky④では父を恨んで嘆いています。これは悲劇を盛り上げるため、『古事記』が演出を図っているわけ。

【⑤ヤマトヒメ】
「叔母ヤマトヒメ」は、やはり崇神紀の「叔母ヤマトトトヒモモソヒメ」の転用像。また草薙剣は、尾張氏の剣霊祭祀(→熱田社)からの追加でしょう。
 ヤマトタケル伝説には、尾張氏の伝承がつよく反映しています。尾張氏は、出雲臣氏(ワカタラシヒコ直系)や和珥氏(武振熊系)とも近縁とされ、あるいはイオキイリヒコの系統でしょうか?
 イオキイリヒコ系が、彦根-桑名(多度大社)あたりから東国にかけて勢力を張ったらしいことは、〈★十六・応神朝と東国の脅威〉で述べています。また剣霊を祀る尾張の熱田社は、関東の鹿島社・香取社と性格が同じです。

【⑥焼津】
 これはありがちな地名説話。「焼」→「火攻め」という連想です。なおKy⑥が「相模の焼津」というのは単純ミス。Ny⑥「駿河の焼津」が正しい。

【⑦海難犠牲】
 この材料は[風土記・筑前逸文]に見えています。大伴狭手彦(サデヒコ)が玄界灘で荒海に阻まれ、海神が彼の恋人(ナゴワカ)を欲しているというので、泣く泣く彼女を筵に乗せて海に流した-という説話です。
 狭手彦「悲別ロマンス」は、他にも複数の異型が『風土記』にあり、古代にはひろく流布していたのでしょう。なおこの類話は朝鮮半島に多くあります(参照→★韓国の民俗学の「恨死した女」)。

【⑧蝦夷征伐】
 Ky⑧またSy⑧ともほとんど内容のない段です。強いて言えば、[常陸国風土記]のクロサカ命・タケカシマ命らが原像でしょうか。
【⑨吾妻】
 吾妻の地名説話に歌謡を合成したもの。なお「吾妻=アヅマ」の原意は、接頭辞「ア」+辺境「ツマ」。これの類語に、接頭辞を取り替えた「サ+ツマ」があります。
【⑩信濃の神】
 これのみ素材が不明です。中部地方の『風土記』は全て散失しているので…。
【⑪尾張】
 ⑤と同じく、ここの素材も尾張氏でしょう。つまり尾張氏の剣霊祭祀が先にあって、その祭剣に、ヤマトタケルが結合されたものと思われます。

【⑫悲劇死】
[常陸国風土記]にあるクロサカ命の葬送譚がこれに近い。蝦夷征討の帰りに斃れ、その葬旗(赤幡と青幡)が「雲の如く虹の如く天を翔けた」という記事です。
 なおNy⑫では父・景行の荘重な(大げさな)弔辞を記すが、Ky⑫ではそれはなく、かわりに国見歌謡や地名説話(杖衝坂とか三重とか)が盛り込まれている。ここでも『古事記』の演出・増幅は明らかです。

【⑬白鳥霊】
 ここには葬礼の儀式や歌謡の反映が目立っています。
 なお「白鳥」は、垂仁紀ホムツワケ伝や『風土記』各所に登場しており、古代に「鳥霊信仰」が強力であったことを示しています。「白鳥」を昇天霊のシンボルと見なすのは、シベリア=スキタイ系の神話に広く見られます(参照→★シベリア民話集

 …こうして見ると、ヤマトタケル伝説の各パートは、ほぼ「材料」が明らかなものばかりです。これだけ「材料」が転がっているのだから、この伝説を史実と見なすことはできないでしょう。

◆原ヤマトタケル伝=【原伝承P】?
 最後に蛇足で、一つの憶説を述べておきます。
 僕が『書紀』の原版と想定した、オオタラシヒコ(景行)-トヨ(神功)-ホムダワケ(応神)-オオサザキ(仁徳)らを主役とする建国の口承叙事詩=【原伝承P】。ほんらいその叙事詩の呼び名こそは、ヤマトの英雄詩=【ヤマトタケル物語】ではなかったでしょうか…?
『書紀』はその英雄詩から、神話-古史を構成し、かつその題名に適するような英雄像をも作出したのだ-と思うのです。
(参照→★二十六・仁徳クーデターと原伝承P

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/53596/40020366

この記事へのトラックバック一覧です: 「ヤマトタケル伝説」を解体するⅡ-書紀解論(三十五):

コメント

コメントを書く




コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。