« ツヌガノアラシトとアマノヒボコ-書紀解論(三十八) | トップページ | 「日向の妃」とエウロペ神話-書紀解論(四十) »

02/19/2008

「日向の妃」の謎を解く-書紀解論(三十九)

「景行・応神・仁徳」代には、幾人も「日向の妃」が現れます。
 辺境である日向から、立て続けに「妃」が出ることは不可解です。しばしば彼女らの名が重複する(日向髪長大田根・日向髪長媛・日向泉長媛・諸県君泉媛…)こともおかしい。この伝承の背後には、いったい何があるだろう?
 この問題を、ここから2回かけて追求します。はじめに断っておきますが、これは幾つもの史実と神話をたぐってゆく、たいへん遠い旅になります。

◆原像は3人!-姉妹【X・Y】と美妃【Z】
 まずは表18から見てください。「日向の妃」およびその関連像10人を、思い切ってX・Y・Zの3原像に整理しました。

Page001

【X・Y】-景行(オオタラシヒコ)の九州遠征時、隼人の首長=日向諸県君から献じられた娘2人。
【Z】-応神(ホムダワケ)の在位中、やはり日向諸県君から献じられた美姫。のちに仁徳(オオサザキ)はクーデターで政権を奪い取って、彼女を自分の妃に加えた。

 このどちらとも、すでに以前にも触れています。【X・Y】については〈★三十四-ヤマトタケル解読Ⅰ〉を、【Z】については〈★二十五-仁徳クーデター〉を、見てください。

◆X・Y-「父殺しの姉」とその妹
 まずX・Yから扱います。この核記事は①であり、②③④はその分身像であるでしょう。
 では重要な①記事を、『書紀・景行紀』から再び抽出しておきましょう。

a)九州遠征に出た景行は、「アツカヤ・サカヤ」なる熊襲賊首の存在を知った。2人は強勇で「熊襲の八十梟帥」と呼ばれていた。景行は、熊襲側から娘2人(姉イチフカヤ・妹イチカヤ)を献じられ、姉妹を寵愛。そして姉に手引きさせ、父の梟帥を酔い潰させて、暗殺させた。のち景行は、姉の裏切りを憎んで、彼女をも殺害した。

 この①X【姉イチフカヤの父殺し】が、のち【ヤマトタケルのクマソタケル殺し】に転用されたことは、解説済みです。
 またイチフカヤは、その猛々しさから、②X襲武媛=「熊襲の猛きヒメ」とも称されたと理解します。
 それにしても気になることは、この説話に登場する熊襲4人が、全員「カヤ」名を持つことです。
 すると、彼ら熊襲(隼人族)の支配層たちも、伽耶系の渡来民なのではあるまいか…?

◆「裏切りの娘」を憎む神話
 僕がそのように疑うのは、他にも理由があることです。ここで次の2伝説を見てください。

b)ラティウム人の王ロムルスは、ローマ市を創ったのち、サビニ人と争った。サビニ騎兵はローマを攻めた。このときローマ城門の鍵は、タルペイアという若い娘が預かっていた。彼女は敵のサビニ王に片恋して、城門を開き、敵を市内へ引き入れた。だがサビニ人は彼女の「裏切り」を憎み嫌い、盾で彼女を圧し殺した。

c)ブルタ-ニュの海岸には、かつてイスという都市があった。市門の鍵は、王女ダユーが預かっていた。ところがダユーは異邦の騎士に片恋して、彼に鍵を渡してしまった。騎士が鍵を開いたために、イスの都は洪水に呑まれ、ダユーもろとも海に沈んだ。

 いったいローマは3民族の混合(ラティウム・サビニ・エトルリア)からできた都市で、そのうちサビニ人は「騎馬民族」であったとされます。
 またブルターニュは、先住ケルト人を、スキタイ系アラン人が駆逐した土地とされます。「騎士」がイスを滅ぼしたとは、まさしくスキタイ騎馬民族が、ケルト文化を破ったことの反映です。
 ここでaイチフカヤ=bタルペイア=cダユーが相似することを見てください。3人とも【敵に恋した娘の裏切り→娘は罰され殺される】という同一の話型ですね。
 タルペイア=ダユーの説話は、「約盟」を尊び「裏切り」を嫌悪する騎馬民族系の古神話だといわれます。
 この問題は、長くなるので、追求するのは次回にしましょう。
 なお『景行紀』に拠れば、襲武媛(=イチフカヤ)は、景行の3子を産んでいます。そこで僕は、イチフカヤが「殺された」というのは史実でなく、その部分は古神話による追加であろう-と推定します。

◆X’・Y’-「醜い姉」イワナガと妹サクヤ
 ところでまた、「悪を憎まれた姉」というイチフカヤ像は、なんと「醜さを憎まれた姉」イワナガとも同じであることに、気づかされます。
 するとイチフカヤ・イチカヤ姉妹の伝承は、【イワナガ・コノハナサクヤ神話】の構成にも利用されている-と推定しうる。
 つまり【イワナガ・コノハナサクヤ神話】を因数分解すると、

ⅰ)誤った選択により「死・短命」を宿命づけられる古神話(類話は東南アジア・オセアニアなど広く分布)。
ⅱ)姉妹のうち、姉は「悪=醜さ」によって憎まれた-というイチフカヤ・イチカヤ伝承。
ⅲ)さらにコノハナサクヤには、全く別に史実から、「トヨ=豊吾田津姫」像を合成。

 -と三つの要素に開けるわけだ。ⅲはこれまで何度も解説してるので、たとえば〈★二十四-書紀にはトヨが11人いる!〉を見てください。

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/53596/40178101

この記事へのトラックバック一覧です: 「日向の妃」の謎を解く-書紀解論(三十九):

コメント

コメントを書く




コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。